昔、旅といえば船だった。
今では、航空機が世界中にたくさんの人々や貨物を運んでいる。
そうなる前は船が中心だった。
ハワイへも同様に、1800年代後半から1900年代半ばまで、船が観光客を運んで来ていた。
そして、船旅の後に着くホノルルの波止場では、彼らを歓迎するレイを売る職人たちがいた。
当時の新聞にこのような記事がある。
『ホノルルでは500人がレイ(ピカケ、ジンジャー・ブロッサム、クチナシ、チューブ・ローズ、カーネーション、その他数多くの花でできた香りのよい花輪)を売ることで、その全部または一部で生計を立てている。』 (サンデー・モーニング』1937年6月6日号)
ジェームス・クックがハワイにやってきた1778年以来、2世紀以上の間に、世界中から約9,000種の新種の花が持ち込まれたという。
プア・ケニケニを含む数種の花は(プルメリア、カーネーション、ジンジャー、ピカケ、パカラナ、プア・オール(ステファノティス)なども同じく)、すぐに島の住民のお気に入りとなり、レイ産業の定番となった。
プア・ケニケニは、元々のポリネシアでは単に 「プア」と呼ばれていた。
現在でもポリネシアの自生地の大部分でもその名前は使われている。
マンガイア島(南クック諸島に位置する火山性の島)では、この「プア」の木は冥界の精霊の国への入り口を守る木であった。
タヒチの伝説では、最初のプアの木は森の神タネが10番目の天から持ってきたとされている。
それゆえ、この木はタネにとって神聖なものであり、タネの像は常にプアの木で作られていたそうだ。
ニューギニアとオーストラリア北部からマリアナ諸島、そして東のカロリン諸島(マルケサス諸島の東)にかけて自生する「プア」は、葉や花、果実のために観賞用に栽培される低木である。
古代、クック諸島とタヒチではこの木は神聖なものと考えられていた。
内皮を煎じたものは喘息や糖尿病の治療に用いられた。
この植物が、ハワイでプア・ケニケニと呼ばれるようになったのは、かつてレイを作るために売られていた花が1本10セントだったことからで、ケニケニはというのは10セントの意味である。
愛する花、レイ・プア・ケニケニ
私は賞賛し、喜びを見出す
私の愛するその香り
私たちの互いの愛を語る
私たちがこの花の美しさを愛でることができますように
その繊細な香りと共に
ほれぼれとする美しいレイは香る
魅力的で素晴らしい
そのやわらかな香りは心をうつ
その気高さが目にうつる
このお話は語られた
プア・ケニケニを讃えるために
このメレを書いたのは、盲目のミージシャン、ジョン・カメアロハ・アルメイダだ。
彼については「パニニ・プアケア」で書いたので参考にしてほしい。
この花は週にから3回、早朝に収穫するのがベストといわれている。
開いた白い花は、室温で3日間保存できる。
ほとんどのレイは、乾燥したビニール袋に入れて冷蔵庫で保存しても大丈夫だが、この花は例外で、冷蔵庫で保存すると茶色く変色してしまう。
その代わり、湿らせたペーパータオルに挟んで、平らな容器に入れて冷暗所で保存するのがよい。
プア・ケニケニの花は開花した初日は白、広がるにつれて、2日目にはバターのような黄色、3日目にはクリームがかったオレンジ色と色濃くなる。
そして、それにつれて香りが強くなる。
♬ Lei Pua Kenikeni by Mark Yamanaka