ファイアマンズ・フラ | ハワイアン・メレの世界

ハワイアン・メレの世界

「メレ」とはハワイ語で歌、もしくは詩という意味。
フラを始めて、曲の内容をより知りたいと思い、書いています。

昔、クムのコンサートで、ケイキカネが消防士のヘルメットを冠って、かわいらしく踊ったのを見たことがある。

「ファイアマン」、つまり消防士のフラ。

最近じゃあ、性差別になるというので、「ファイアファイター」と言うらしいけど。

でも、このメレは、男の子が一生懸命踊るのを見るのが好き。

 

 皆の知っている消防署のお話。

 腕前は一番

 

 電話のベルがなったら

 早く、急がなくてはね

 

 点呼に一番で答えて

 町の指令室からの

 

 前進しろ、君たちは選ばれたもの

 やさしい瞳のスウィートハートにね。

 

 繰り返すね

 腕前は一番

 

消防士と言えば、火事。

2023年のマウイ島、ラハイナでの大火事は記憶に新しい。

今回の災害には、たくさんの消防士の活躍が見られた。

 

およそ110年前の1919年、同じ町で大火災が起きている。

木造家屋のならぶ町並では火災は致命的なものだ。

その年の大晦日、「マウカ側のフロント・ストリートとチャーチ・ストリートの角の2軒先」にあったシン・ラング社の果物店から出火した火災は、30件以上の家屋を焼失させた。

夜中にも関わらず、騎馬警察官が笛を鳴らしながら必死で町中を走り回り警報を発した後、町民が駆けつけて消火活動にあたった。

 

放火による災害だったようだ。

「翌週、月曜の朝、クレム・クロウエル保安官は、焼け跡を調査した結果、火元の店の裏のドアを固定していた南京錠と掛け金を発見した。

両者とも、無理やり開けられた紛れもない証拠を示している。」 (マウイ・ニュース 1919年1月10日)

犯人はシン・ラング・フルーツ店に押し入り、多数の時計と約8ドルの硬貨を盗んだ強盗だった。

彼らはその上、レン・ワイ社の店舗を襲い、ラハイナの銀行強盗を計画していた若い盗賊団のメンバーにだった。

「多かれ少なかれ直接関与している多くの少年たちから部分的な自白が取れており、状況証拠はすべて、ギャングのうちの2人について決定的なものである。」(マウイ・ニュース、1919年1月17日)。

 

「マウイ島の歴史上、断然悲惨な大火災は、先週の土曜日の夜11時30分頃、ラハイナのビジネスセンターで発生したもので、最終的に鎮圧されるまでに、30以上の別々の建物を破壊し、125,000ドルから150,000ドルの損害をもたらした。」 (マウイ・ニュース 1919年1月10日)

この火災は、それまでのマウイ島の歴史の中でも最悪のものだったが、マウイ島の消防の対策に重要な改善をもたらすきっかけとなった。

 

翌月、郡監督委員会はラハイナの消防署の設立を承認し、資金を提供した。

BOウィストが初代消防署長に選出され、ボランティア消防団の組織化を任された。

さらに理事会は、ラハイナ用とワイルク用の2台の消防車の購入を承認した。

この火災のため、ラハイナの町民は、町の中心部に消防用の太い水道管と適切な消火栓を設置するよう郡に要請した。

「理事会は、郡弁護士と郡技師に「ラハイナとワイルク両町の火災条例を共同で作成し、火災の制限を定め、町の建物が密集している地域で維持できる建物や設備の等級を規定する」よう指示した。

 

ラハイナの有力な日本人たちは、火災発生後まもなく、火災で被害を受けた人々のために救援組織を結成した。

この組織の最初の仕事は、消火活動に従事していた何百人もの人々に食べ物や飲み物を提供することだった。

その後、この組織は火災で被害を受けた人々の救済に乗り出した。

 

110年前の火災は放火によるものだった。

今年のそれは自然災害から始まったものであった。

ラハイナあたりの乾燥地帯は、経済活動を優先する人間によって起こされたと聞いた。

 

 

 

参考資料
Great Lāhainā Fire of 1919、Images of Old Hawaii by P. Young