お釈迦さまについて考えた3日間 | 空と大地のハーモニー〜逗子海岸のホリスティックケア カラニ・ホヌア、WATSU、ロミロミ、マタニティマッサージ、クレニオセイクラル

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湘南・逗子海岸のホリスティックケアサロン、カラニ・ホヌア。WATSU(ワッツ)は葉山の湘南国際村センター、ボディケアは逗子海岸の自宅サロンで行っています。一人ひとりの心カラダ魂を輝かすお手伝いが出来るよう日々研究中。

今日は円覚寺の日曜説教会に行ってきました。震災から明日で一ヵ月、私の敬愛する老師様がどんなお話をなさるか凄い興味があったから。

老師様の提唱は毎週行われるのですが、第2土曜は特別らしくもの凄い人の多さでした。まずは震災でなった方と、避難所で苦労されている方への祈り、そして今日この時生きている事、そしてみんなでこの場所に集う事が出来た事を感謝しました。

老師様は、もの凄い読書家でいらっしゃるようで、提唱の中で本の一節や、詩、短歌などを良く引用されます。被災者の方の短歌で、一ヶ月後に出産を控えていながらが亡くなってしまった母と光を見ずしてこの世を去ってしまった赤ちゃんの事を歌った短歌を紹介されました。とても素晴らしい歌でしたが、悲しくて涙がいっぱい出ました。

そして原子力の事にも触れ、今回の事件は便利さを求めすぎた私たち人間が作り出したものであると言う事を、きっぱりとおっしゃいました。いつもニコニコしていて語り口調も優しい老師様ですが、時々ハッとさせられます。

そして次には釈迦の教えの無常と無我について語られました。無常とは、変わらないものは何もないと言う事。3月11日より前に後戻りすることは決して出来ない事。

無我とは、人間は決して一人ではない、みなで助け合い支え合うものであると言う事であると教えて下さいました。無常と無我を見つめる事が本来の安らぎを得る道であると。

そしてそれを端的にあらわしているのははかない花などの自然。桜の花などが例えにされるのはこういう事ですね。桜の花は常に移り変わり、でもそれを育む陽の光や水や豊かな大地が無くては生きていけない。

仏心(仏さまの心)とは、ありがたい、もったいない、全てのものを思いやる心だと結ばれました。境内には桜の花が満開に咲いていました。

$空と大地のハーモニー


この3日間に色んな場所で桜を見る事が出来たので、アルバムを作ってみました。よろしかったら、ご覧ください。


金曜日には、チベット舞踊劇の蔵謎(クラナゾ)を見に行ってきました。以前にこの劇の予告編を見て、見たいなとは思ったけれどすっかり忘れていましたが、お友達の真琴さんがミクシイで紹介していて、現在上演中であることを知り、行く事が出来ました。

最近、自分が意図する事がよく実現するという事実に加えて、忘れている事も思い出させるきっかけが必ず与えられる、という事に気づかされます。そんな時は流れに逆らわない、ようにしています。神様がくれたチャンスだから。

クラナゾのストーリーは、チベット仏教の死生観に彼らの日常の生活や祭りなどを絡めたストーリーになっていました。輪廻転生を繰り返し、生まれ変わった時によりよいものになる為に生きる、言いかえれば死ぬために生きると言う事かもしれません。

そして亡くなってからの49日の旅の間に新しい命を見つけるたびに出るそうです。震災で亡くなられた方も今旅の途中ですね。メインダンサーのヤン・リーピンさんの踊りも素晴らしかったけど、群舞がすごく良かったです。

以前にアメリカ人のドクターで、チベットの高僧でもあるバリー博士の勉強会に行った事がありますが、彼がこんな事を言っていました。

「道ですれ違う全く関係がないと思われる人も過去生で親兄弟、自分の夫や妻で会ったかもしれないと思うと、世の中が変わって見えると思いませんか?」

にゃ~るほど、彼の言った事がもうちょっと分かったような気がしました。


チベット仏教というと、私は必ずハワイのマッサージスクールのクラスメートだったSを思い出します。パートナーと共に熱心なチベット仏教の支持者だったSの名前はサンスクリットの「無」に由来します。
その当時はソーシャルワーカーの仕事をしていた彼は、とても優しい瞳の持ち主でした。

当時のクラスメートたちは年齢も経歴もバラバラ、中には10代のサーファーの若者なんかも居て、でもみんなとても繊細な人たちで日本から何にも知らずにやって来た私を温かく受け入れてくれました。今でもとても感謝しています。

会社勤めの最後がアメリカの外資で、気分屋でノー天気なアメリカ人を沢山見てきたので、このクラスメート達はとっても新鮮でした。

私が学生になりたての頃は、ネイティブが通うクラスの他に日本語クラスという、学費のものすご~く高いクラスというのもあり、そちらは日本人オンリー。クラスメート達となるべく早く馴染みたいと思っていた私は最初、日本語クラスの人たちと少し距離を置いていました。

フラガールを気取ってラウハラハットなどを被って通学していたので、日本語クラスのみんなからは「帽子のひと」とか呼ばれていたそうです。

今思うと、凄い突っ張ってた。かわいいもんです。 


すみません、エンドレスになりそうです。今日はこの辺で終わりにしないと。

最後に、円覚寺の坐禅会で必ず唱える大好きなお経に白隠禅師の坐禅和讃と言うのがあります。その冒頭は…

「衆生本来仏なり、水と氷のごとくにて、水を離れて氷なし、衆生の他に仏なし。  ……」

衆生とは、この世に存在する生くとし生けるもの全て、人間も草も動物もすべて平等に仏さまであると始まります。

とても分かりやすい文章で唱えるたびに心が洗われます。全文は、こちらをご覧ください。

明日は鶴岡八幡宮で宗派を超えた東日本大震災の復興祈願祭があります。その場で一緒に祈るも良し、別の場所で祈るも良し。

明日も、みなさまにとって素敵な一日でありますようにラブラブ

 
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