駅前の人気カフェで感じた「名前呼び」
お彼岸の中日、日曜日の朝8時すぎ。
一軒のカフェの前だけは特別な空気を放っていました。
十人以上の老若男女が行列をつくり、席が空くのをを待っていたんです。
数年前にインスタで大きく跳ねた人気店で、休日の朝からその勢いを見せつけていました。
学生のころは、何度か行った記憶があるけれど、
他の飲食店が いろいろ消えていく中で
残っているのは珍しい・・
※ 我がドーナツ店もいつしか消えてしまった‥
しばらくすると、店員さんが出てきて
ウェイティングボードをのぞき込み始めたので、
どんな案内の仕方をするのかと
興味津々で 様子をうかがっていたのですが、、
お客さまの名前を呼ぶ声は
淡々としていて抑揚もなく、
ただ名簿を読み上げているようにしか聞こえませんでした。
お客さんは順番に店へ入っていくが、
「歓迎されている」という温度は感じられなかった。
お客さまに声をかけるときには
どういったポリシーでいらっしゃるのかははかり知れませんが、
早朝からお客さまを並ばせるような人気店だからこそ、
その呼び方の落差が惜しいと感じてしまったのは言うまでもありません。
仁科の里で受け取った「おはぎの温もり」
お彼岸&昨年亡くなった母の命日ということもあり
その後は、実家までクルマを転がしていったわけですが、、
途中、実家近くの「仁科の里」直売所に立ち寄りました。
数年前からなぜかお気に入りで、
近所のおばちゃんたちが寄り合って営む小さな直売所には、
野菜や花、そして名物のおはぎが並んでいる。
ここには接客マニュアルも、華やかな笑顔もない。
けれど商品そのものから不思議と温度が伝わってくる。
手作りのおはぎはまだほんのり温かく、
口にすれば母の暖かさを思い出す。
素朴な花も土の香りを漂わせ、
生活の息づかいを感じさせてくれる。
言葉はなくとも「人の想い」が届く場所であったりします。
人の温度をどう伝えるか
駅前の人気カフェは、商品力も集客力も十分だ。
だが、名前呼びに温度がなければ、
お客さまには流れ作業の一部にしか感じない。
対して仁科の里は、接客という形はなくても、
手作りの商品を通しておばちゃんたちの暖かさが自然に伝わってくる。
接客とは、
必ずしも笑顔や言葉で飾ることではない。
大切なのは「人の息づかい」や「お店の温度」をどう届けるか。
呼びかけの一言をとっても、
おはぎのパック一つをとって、
その温度を感じさせることができる。
母の命日におはぎを仏壇に供えながら、改めてそう思った。
まとめ
駅前で見た「事務的な名前呼び」と、
仁科の里で受け取った「おはぎの温もり」。
対照的な二つの場面は、接客の本質を考えるきっかけをくれた。
お客さまは、こちらの温度を鏡のように映してくれる存在だ。
小さな一言、小さな心配りが、その場の空気を柔らかく変える。
お彼岸の一日を通して学んだのは、
接客の形ではなく「人の想い」が最後に残るということ。
母にも報告したい。
「まだまだ僕は、接客の意味を学び続けているよ」と。



