前回、カクザンは、次のように申し上げました。指導対局では「全力で戦う」のが一番簡単な技法である、と。我ながら、かなり大胆な発言であったと思います。そして、これだけでは、この発言の真意は皆様に伝わらない恐れも多分にあると懸念されます。そこで、今回は、この発言の真意について、カクザンの考えを申し述べたいと思います。
まず、「指導対局」については、上手(うわて)側(=指導する側)は、下手(したて)側(=指導を受ける側)に対して、「手加減をするべきか否か」という議論があります。この議論については、実は、将棋指導員の間でも意見が真っ二つに分かれるところであります。
それぞれの主張には、それぞれの真理があります。例えば、前者の場合、徹底的に鍛えることで下手は間違いなく上達していきます。プロを目指す者に手加減は不要でしょうし、そういう生徒を育てたいという指導者にこのタイプが多いのだと思います。しかし、後者を主張する指導員からは次のような声が聞こえてきそうです。「そんなことをしたら、その子は将棋が嫌いになってしまうよ」と。
この議論は、果たして、どちらの主張が正しいのでしょうか?
前者の場合、「手加減をしない」指導に耐えられるタイプというのは、どういう生徒さんなのでしょうか?上達意欲が高く、負けても負けても、何度も挑戦してくる。それくらい将棋が好きで好きでたまらない。そういうタイプの生徒さんだと思います。ただし、こうした域に達している生徒さんは、将棋ファンの拡大を目指している高島&操山教室では、1割もいないように思われます。つまり、高島&操山教室で、こうしたスパルタ的な「手加減をしない」、「容赦をしない」指導対局ばかりをやっていると、9割の生徒さんは耐えられず、将棋を辞めてしまう恐れがあるのです。なので、相手によっては「手加減をする」。もっと正確に言えば、「上手に手加減をする」。こうした工夫が必要なケースが存在するということ。相手によって、両者を使い分ける必要があるのではないか。これがカクザンの主張です。
今回の議論は、どちらかが正しく、どちらかが誤りというものではないとカクザンは考えます。教室毎に、指導対局の特徴が分かれていても良いと思います。しかし、少なくとも初心者教室における「指導対局」では、「上手に手加減をする」という配慮が、指導者には求められるように感じられるのです(カクザンは指導者に求めていることであて、保護者の方に求めていることではありません)。そして、どうやらそこには、それなりの「技」が必要なのだということに、カクザンもだんだんと気がついてきたのです。
一方、「手加減をしない」指導は簡単です。指導者に求められるものは、高い棋力だけだからです。余計なことは一切考えず、自身の棋力を十分に発揮することだけに専念すればよいのです。
次回は「上手に手加減をする」とはどういうことかについて考察してみたいと思います。