このDao of Web Designという記事、
もう10年も前に書かれたらしいけど、
今読んでもおもしろいと思った。
調べるとやはり今でも人気?の記事らしいし。
おもしろいと思った自分が、単にウェブデザインにおいてすごく遅れているというわではないようだ。。。(^O^)

その中の記事を読みながら、
この部分を実際に試してみた。。

「CSS
において、ページレイアウトを指定するためにパーセンテージ(または他の相対的な値)を用いることは、自動的に順応的なページを作成することになる。ブラウザウィンドウが広がったり狭くなったりする時、一つの要素のレイアウトは、同じ比率を維持するために順応する。従ってページレイアウト全体が順応する。ユーザーはニーズに適したウィンドウサイズを選ぶことができる。」


まず、記事が掲載されているウェブページ。もちろん対応している。。。

たまたま開いていたメジャーサイトにも試してみた。これも大丈夫。

それじゃあ私のページは??やってみた。対応してないではありませんか!

当たり前ですけど。CSS中でパーセンテージで指定してませんから。。。

要するに柔軟性を持たせることがすごく大事らしい。私も他人のためにウェブサイトを作ってた時は、ブラウザごと外観が異なるのがすごく気になって、それを統一しようと躍起になってたけど。。。
著者は10年前にこの記事を書いているのにも関わらず、コントロールしようとしても意味ないから、もうやめなさいって言っています。

今はウェブは作ってませんが、そういうところに躍起になってアホほど時間を費やしてしまうのは確かに無意味だな。。。。と。
γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞみんな、がんばれ~




学術論文の和訳は難しい。
願いは、自分が論文著者であるくらいに内容を理解したい。
でも仮に理解できたとしても、次はそれを日本語にするのがまた大変。
日本語は難しい。
(´0ノ`*)
でも論文の著者も、自分の考えをあれやこれやと展開させていくのだけど、
一文にあれやこれやと継ぎ足して・・・・・延々と終わらない、まるで著者の頭の中?!のような
文もあるのでとても難しい。

とりあえず時間があるときには過去に訳した論文などもう一度読んでみることにしてみました。
特に看護理論、医療関連が多く、概念や理論が関係するものがほとんどです。
読み直してみるときもこのあたりの分野に焦点をしぼっています。

たわごと。。。。

こちらもウェブ検索で見つけた貴重な?!情報



ここでも西田氏の名前が!幾太郎さん?


概念としての自己

 「概念としての自己」は、嫌悪的な内容を持つものが自己とされて対象として 描かれ、主観が嫌悪されている。

 「簡単に言えば「私は‥‥である」のように自己に対する固定観念のことで、 ACTは概念としての自己に縛られると(認知的フュージョン)、精神的苦痛を生む と唱える。 例えば、「私はうつ病だから」という教示は「自己=うつ病」という双方向性か ら、「うつ病」という言語刺激が持つネガティブな評価機能を自己にもたらし、 個人を自己嫌悪の世界に引きずり込む。言語を巧みに操る人間ではこの言語プロ セスが自動的に起こり、自己概念への囚われが起こるのである。」(1)

 「概念としての自己」は、SIMT(禅、西田哲学)でいえば、種々の精神作用に は、作用と対象、それらすべてが於てある場所があり、「概念としての自己」は 思考作用の対象であって、全く真の自己ではない。クライアントには、そんな考 えられらたものにとらわれずに、自己洞察を深めてくださいと助言する。