こちらもウェブ検索で見つけた貴重な?!情報



ここでも西田氏の名前が!幾太郎さん?


概念としての自己

 「概念としての自己」は、嫌悪的な内容を持つものが自己とされて対象として 描かれ、主観が嫌悪されている。

 「簡単に言えば「私は‥‥である」のように自己に対する固定観念のことで、 ACTは概念としての自己に縛られると(認知的フュージョン)、精神的苦痛を生む と唱える。 例えば、「私はうつ病だから」という教示は「自己=うつ病」という双方向性か ら、「うつ病」という言語刺激が持つネガティブな評価機能を自己にもたらし、 個人を自己嫌悪の世界に引きずり込む。言語を巧みに操る人間ではこの言語プロ セスが自動的に起こり、自己概念への囚われが起こるのである。」(1)

 「概念としての自己」は、SIMT(禅、西田哲学)でいえば、種々の精神作用に は、作用と対象、それらすべてが於てある場所があり、「概念としての自己」は 思考作用の対象であって、全く真の自己ではない。クライアントには、そんな考 えられらたものにとらわれずに、自己洞察を深めてくださいと助言する。