新海老人のヨレヨレ物語「お話 その六」 | 覚技ワーク~注意の行き届いた自然体★新海正彦

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覚技(かくぎ)とは、さまざまな心理療法に、武術や音楽やシャーマン的テクニックを取り入れた、こころとからだに目覚めをもたらすトレーニング・メソッドです。

お話その六

新海老人のヨレヨレ物語もちょうど半分が過ぎたところです。
前回をまだ読んでいない方はこちらです。「お話その五」》 》 》


僕が武術をやり始めたきっかけは、
交差点で追突された自動車事故でした。

事故で進路を強制的に変更され、
運命的に(?)武術と出合った形でした。


ただし「武術」といってもその武術は
実に風変わりなものでした。
何よりまずその武術には、
武術といわれるものには必ずある「型」がない。

だから、「武術?何かやって見せてよ~!」
と言われても、
「あ、じゃね、たとえばこんなこと…」
と見せてあげるものがありません。

その上この武術は力も使わないというのですから、
ぶっちゃけ「そんなの武術なの?」という感じです。


でも、だからこそ僕は交通事故でガチガチの
ヨボヨボになった体を根本から治す手段として、
この風変わりな武術を選んだのでした。

「これをやったほうがいい」という直感というか、
根拠のない確信が僕の中にあったのです。


実際、交通事故で痛めた体は快方へ向かい、
事故直後は一枚の固い板のように感じていた背中が、
肩、肩甲骨周り、腰周り、背骨沿いの筋肉…と、
それぞれ分かれて感じられるようになりましたし、
腰の張りもかなり取れてきました。

とはいえ背中と首の違和感は頑固に残っていました。
しかしこの背中と首の違和感、よくよく考えてみると、
事故以前からあったのです。

単に気にしていなかっただけのこと。
それが事故をきっかけに気なりだしたというわけでした。
つまり元々僕には背中を緊張させるクセがあったのです。

そこで僕は背中を緊張させるクセに
気をつけながら稽古をするようになったのですが、
するとそれまでとは違う動きができるようになりました。


結局僕は、その武術をなんと
10年以上続けることとなりました。
毎週、毎週、横須賀から東京まで1回も
休むことなく稽古に通ったのです。

我ながら驚きです。

徹夜で疲れているときも、行く前はぼろぼろに疲れていて
「さすがに今日は休もうかなあ」と迷うこともありましたが、
そんな時でも道場で稽古をすれば、かえって体が楽になるし、
頭もすっきりすることを知っていたので、行くことにしていました。


とはいえ「体がよくなる、強くなれる」というモチベーションだけでは、
僕はここまでこの武術を続けていなかったでしょう。

では何が面白くて10年近くも続けたのかというと、
先程もちらりと触れましたが、この武術の中に本質的な
“何か”があると感じていたからです。


「型」を退け、ただただ自分の「芯」を意識して、
一瞬ごとに変化する芯を追い続ける。

すると自分をつかんでいる相手が
為す術もなく倒れていくというところに何かを感じ、
惹かれていたのだと思います。


さて、「自分の芯を追い続けるって、何?」
という疑問を抱いている方も多いことでしょう。

続きは「お話その七」へつづく~!


覚技ワークス主宰 新海正彦