新海老人のヨレヨレ物語「お話その五」 | 覚技ワーク~注意の行き届いた自然体★新海正彦

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覚技(かくぎ)とは、さまざまな心理療法に、武術や音楽やシャーマン的テクニックを取り入れた、こころとからだに目覚めをもたらすトレーニング・メソッドです。

「お話その五」


無事、初参加の大阪道場から帰ってきた新海老人。
前回をまだ読んでいない方はこちらです。「お話その四」》 》 》


稽古は東京で続けることにし、
まずは週に1回の稽古に通い始めました。

そして僕が夢中になるとほぼ同時期に、
道場の稽古日も、週に2回、3回と徐々に増えていきました。

初回こそ何がなんだかワケがわからなかった稽古も、
続けていくうちに、僕なりにぼんやりとこの武術の特徴が
わかってくるようになりました。


武術では(いや武術以外でも稽古事はそうかもしれませんが)、
一通り厳しい修練をつんだ後、

「さらに高みを目指すためにはカタにとらわれるな。
大切なのはチカラではないのだ」


という、いわゆる“奥義”的な教えが行われます。
語弊を恐れずすごく簡単に言ってしまえば、カタを忘れ、
その時々の状況に柔軟に対応せよというようなことだと思います。

ところが僕が習い始めた武術は、

「だったら、カタを覚えるとか回りくどいことしないで、
最初からそれ、やっちゃおうよ」


というスタンスに立つものでした。
(ずいぶん平たい言い回しでゴメンナサイ)


例えば、一つの「カタ」で、相手が自分の腕をつかんできたとします。
でもそのつかみ方や力の入れ具合、つかんだ方向といったものは、
一見同じように見えても毎回すべてが違うはずです。

ということは、相手を捌くにしても、
すべて同じ「カタ」で捌くことはできないはずです。
毎回、違った方向に捌くことが必要となります。

そうなると「カタ」はむしろ邪魔になるから
「カタ」の稽古は一切せず、毎回その場に応じた
動きができるように稽古をつもう、というのが
僕の習っている武術の考えだったのです。


具体的にどうするのかというと、
相手と自分の位置、力の関係を
繊細に感じ続けることが第一です。

なぜなら相手との関係性は毎瞬毎瞬、
変わっていくものだからです。

それを繊細に感じ続けながら、
自分の芯を保つ方向を、体感覚を通して見つけ出し、
そちらの方向へ体のおもむくままに動き続けます。


少しややこしい説明になりますが、

相手を倒すとか相手の手を振りほどくということを目的としないで、
相手の状態に合わせて自分の芯を保ち続けるという
そのプロセスを丁寧に瞬間ごとに追っていくと、
不思議なことに(本当は理にかなっていることなのですが)
相手は自ずと崩れていくのです。

勝手に力なく、倒れちゃうんです。
そしてそれを傍から見ると、
「なんか武術やっているって感じ!」に見えるのです、これが。

僕が本屋で見つけた武術は、
チカラが強くもない、体も大きくない、
そして考えることが好きな僕にとっては、
まさにうってつけの武術だったのでした。


僕の直感、体の感覚は正しかったようです。



さてさて、それはともかく、
ではその後の体調はどう変化したのかというと、

稽古の延長で日々、「体の芯」を感じて
寝起きすることを続けていたせいか、
背骨と首周りの凝りを残して、だいぶ回復していったのでした。


さらに続く・・・!


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覚技ワークス主宰 新海正彦