
特に心については、とかく「暗い、辛い、苦しい、怖い」というイメージがあります。
深刻な問題の根本的解決を真に望むのなら、
それは確かにそういうプロセスを経る必要があるでしょう。
しかし自分が見たくない、認めたくない、
できればすっかり消し去ってしまいたいと願う、
汚れて惨めな自分の顔や思いや経験と直面することは、
それだけで大変なことです。
なかなかそこまでの勇気を持てるものではありません。
なにせそれは、
いきなりパックリと大きく空いた底知れない
深い谷間にエイっと飛び込むようなものだからです。
でも癒しの方法はひとつではありません。
小さな癒やしから大きな癒しへとつなげていく
方法もまたあります。
本当は癒しに大も小もありません。
ひとつの小さな癒しは実は全体へリンクしていて、
連鎖的に次の癒しへつながっていくものです。
なぜなら心の癖や傷というものは、
それぞれ独立したものではなく、
すべてどこかでつながっているからです。
一つ何か小さな癒しを心や身体が経験すると、
それは次に何かしらまた新しい癒しを引き起こすものなのです。
その最初の小さな癒しへのとっかかりとなる
フックを見つけ出そうとするのが覚技です。
それも何でもない子どものような遊びや、
音楽ゲーム、武術体験などを通して、
楽しく冒険心をもって行なっていく中で、
楽しく笑いながら行うことをベースとしています。
その遊びの行き着く果てに、
自分でもまったく気付かなかったような心の扉に行き着き、
知らないうちに、あなたはそのドアを開けているのです。
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