アウェアネス~敏感な関知能力(続き)
よく映画やドラマのワンシーンで、誰かが銃を撃った後、
「手応えがあった」という表現をするシーンがあります。
これと同じ表現は、弓を射たときにも言われます。
僕は以前、アーチェリーの練習を何度かさせてもらった
ことがあるのですが、現実にそのときその「手応え」を
感じることがありました。
矢がまっすぐに飛んでいって的の真ん中に当たるときというのは、
本当に手の中に何とも言えない圧力というか感覚というか
衝撃というか・・・とにかくかすかな「手応え」があるのです。
実は以前、銃を撃つ機会がありました。
アフガニスタンとパキスタンの国境近くにある、
ダラという小さな街があり、そこで使い方を教えてもらいながら
いろいろな銃器を撃つ練習をしました。
そこは当時、まるで無法地帯。ここの男性たち皆、
外出する時は皆ライフル銃を肩にかけて歩いています。
なんて、こんなこと書いちゃっていいのかなあ。
まあ、30年以上前の話ですし、僕がやったことはここでは
違法行為ではないので・・・。まあいいか(笑);
「手応え」の話に話を戻すと、
当然それは物理的な手応えではありませんね。
だってピストルの弾も弓矢の矢もずっと向こうに
飛んでいってしまったものですから。
ではその「感触」はいったいなんなのか?
銃や弓を操作したとき、こちらの動きに無駄がなく
力がすーっと全部、矢や弾丸に込められた感触ということが
一つは考えられます。
すべての力が自然と放った物に乗せられたときの、
すーっという抜けるような感触です。
でも体験的に言えば、
手応えはそんな感触だけではありません。
的に矢がドスッと当たった瞬間、
もっと異なる重みのような感触があるからです。
この感触は決して科学で解明できるものではないでしょう。
でも確かに存在しています。
もしかしたらこれは古の剣豪が、
物理的には気がつくはずがない遠くの敵の存在に
パッといち早く気がつくということと
同じ類のものかもしれません。
これもアウェアネスですね。(記事⇒「動のなかの深い静寂」)
ネイティブアメリカン達が、森の中の細かな変化を
肌で感じ取っていたというのとも同じかもしれません。
人の感覚器官というのは、本当はとてつもない敏感な
関知能力を秘めているものかもしれませんね。
覚技研究会 新海正彦