勝負には潔さが必要なのはナゼ? | 格ゲーノート

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格ゲーやってウン十年・・・アーケードメインで格ゲーについて語ってみようと思います。(アケは鉄拳、スマホはツムツム。パズドラは解脱に成功。しかし格ゲーマーらしく?最近始まったパズドラ対戦をちょこちょこプレイ中)

「実力で負けた」そう言い切れる人は強くなる。


と、何かの本で読んだことがあります。


「彼は俺より弱い、たまたま負けただけ」と考えてしまうと、自分のプライドは守られますが、強くなるために素直に努力しょうという気が起こりにくくなるような気がします。


俺のほうが強いのに負けた→運悪くたまたま負けただけ→今迄通りで問題ない→変化や現実を受け入れられない→改善点を見つけられない



「私は実力で負けてしまった」と潔く負け認め、相手の強さを認めることができれば、今の自分に必要な能力は何かを真剣に探すことができるようになるのではないでしょうか。




自分の負けを認めることは勇気のいる行動です。




潔く負けを認める勇気が持てないと、いつまでたっても強くなれない(挫折を繰り返す)のではないでしょうか。


ただ、負けばかりを認めていては、自分の自分自身に対するイメージが小さくなってしまうと思います。


なので自分のいい部分も恥ずかしがらずに認めることが必要になてくると思います。




この潔さを身に着けることができれば、社会で経験する、挫折や悔しい思いを「乗り越える方法」を知ったといえるのではないでしょうか。


ただゲームと違い、社会で経験する挫折や悔しい思いは大きなものです、でも根本は同じだと思います。


相手を認め、自分の足りないものを素直に探し、足りない能力を、努力により得ようとすることができれば、時間がかかってしまったとしても、挫折や悔しい思いを乗り越えていけるのではないでしょうか。