大正時代、1918年に世界中で大流行したスペイン風邪は世界で2000万人~4500万人が死亡し、日本では45万人の死者を出しました。
愛媛県議会の図書室で当時の新聞が展示されています。
当時、松山市では人口6万人のところ、2万人~2万5千人がスペイン風邪に感染、宇和島では1万2千人、ほぼ町全体が感染していました。
県議会でも議員が感染し、議会に出席できる議員が少なくなっていたことも報じられています。
当時も感染防止策は「マスク着用」「患者の隔離」「学校休校」「集会の禁止」などの対策がとられていたようです。
また、その時もデマが飛び交うなど混乱があったとのこと。
このスペイン風邪は1918年に流行し、1920年に沈静化したそうですが、全世界で感染し、集団免疫ができ収まっていったといわれています。
今はワクチンや治療薬なども開発が進み、ネット、テレビなど情報公開が効率的に行われています。終息までの道のりは昔と違っていると思います。
しかしながら、当時30歳だった与謝野晶子が横濱貿易新聞に寄せた「感冒の床から」という記事に
「政府はなぜ逸(いち)早くこの危險を防止する爲に、
大呉服店、學校、與行物、大工場、大展覧會等、
多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかつたのでせうか」
と、日本政府の対応の遅さを指摘していることにも驚きました。歴史は繰り返し、同じ過ちをまた起こしてしまうのだと感じます。
そして「ペスト」が終息したあと「封建制度が崩壊」したように、パンデミックのあとは必ず「社会変革」が起きているといいます。
まだ終息が見えない状況の中で私たちは今回の「コロナウィルス」でどのような社会を作り上げるのか。
「ウィルス」の出現により強制的に生活様式が変わっていく中で、
一人ひとりが今の暮らしからどう変革していくのか、見つめ直す時期が来ているのだと思います。
確実に言えるのは、これからくる社会の大転換に対して生き残るためには、
「変化を受け入れ、変化することを恐れない」ことではないでしょうか。