予土線視察①(予土線の歴史) | いしいともえ公式ブログ【衆議院・愛媛1区】

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元愛媛県議会議員・看護師・国民民主党新人いしいともえの想いや日々の活動をお届けしています。

愛媛県の中で一番赤字路線の予土線は今後の存続が危ぶまれています。
地元から存続してほしいとの要望がありますが、今後どうするのかその方法について考えていきました。


まずはどのような経緯で予土線が守られてきたのか、歴史を調べてみました。


○今から105年前、1914年に宇和島鉄道として宇和島ー近永間が開通したのが予土線のはじまり。
当時は蒸気機関車だった。



○その後、国有化され窪川駅まで延伸、江川崎ー若井間が開通。予土線と改称。それまで高知まで2日間かかったところ日帰りで行き来できるようになった。



○しかしながらこの時からすでに乗客が少なく、100円の収入を得るのに646円かかり、年間8億円の赤字だった。



○当時の村長が役場に「通勤、出張は最大限汽車を利用するように」との張り紙が村長名で書かれていた。
存続の危機にさらされながら住民の運動が始まる。



○国鉄赤字ローカル線の廃止基準を定める政令が決定したなか、予土線は「代替輸送道路が未整備」という例外規定によって廃止とならず昭和60年まで延命。


○トロッコ列車運転


○国鉄民営化となり、JR四国設立


○SLしまんと号運転



【現在】


○よどせん3兄弟運転
しまんトロッコ、海洋堂ホビートレイン、鉄道ホビートレイン運行


○予土線存続を応援するサポーター活動
「YODOSENサポーター」

https://www.pref.ehime.jp/nan54144/yodosensupporters.html



100年以上前から愛媛県内の交通を担ってきた予土線。何度も廃止に追い込まれても地域の重要な足として守られてきた経緯があります。


しかしながら、JR四国路線の中でダントツの赤字路線ではあるため経営側の立場に立てばこれ以上の維持は難しいということも十分理解できます。


予土線維持のためには利用者を増やすことと、JR四国の経営そのものを改善できる新たな事業にも地域が協力していく必要性があると思いました。