strings | yukkiのFUN!FUN!MUSIC♪

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ご閲覧いただき、ありがとうございます!YUIちゃんと植村花菜さんを応援していきたいと思い始めたブログですが、今では洋・邦問わず好きな音楽を書いています。只今絶賛ライヴにはまり中ww「広く、浅く」がモットーです!どうぞお気軽に。           

溜まりに溜まっているライヴレポを、今日こそは書こうと思ってPCを開いたけど。

書いた言葉は読み返すとどれも空疎で。

書いては消し、また書いてはため息を吐き・・・ダウン


頭を抱えていると、息子の「腹減った」の連呼に負けて(実は自分も腹減っていたww)、冷蔵庫を覘いたら、ブロッコリーといんげんが中途半端に残っていたので、にんにくのチューブを使ってあり合わせのぺペロンチーノを。




ちなみに、器はどんぶりでっせ!(笑)

これ、ツイッターで昼間呟いているので、2度目の方はごめんなさい。(笑)


腹が満たされて、多少はマシに書けるかと思ってレポートにトライするも、やっぱり全くダメ。ショック!

書いた人間が、読み返してみてつまらないんじゃあ、どうしようもないよね。

形式的なモノなら幾らでも書けるけど。

以前は、そんなコト全く考えずに、思った通りのコトを書いていて。自分が言うのもなんだけど、アツいレポートが書けていたと思う。いいかどうかは分からないけど。

それが、最近できなくなった。


思い至って、ある方のブログをずっと読み耽っていました。

落ち込んだり、立ち上がったり、希望を持ってはどん底に落ちたり。何気ない日常の中で、その方の繊細すぎる心は、揺らぎに揺らぐ。

ともすれば、それは鋭すぎる刃であったり、触れたらくず折れてしまうような儚いモノで、思わず「大丈夫なの?」と心配してしまうくらいの感情が溢れていて。

でも、必ず1本の心棒というモノはあって、それだけは決して揺るがない。

それは、「歌いたい」という気持ち。


とにかく、ひたすら「自分」という壁に立ち向かっていて。決して、「他人」に対する言葉ではない。

そこに書かれている文書は、全て自分自身に対する思いをひたすら隠さずにぶつけている、「自分」に対しての言葉だった。


ここまで「自分」を見つめて、痛々しいほどに突き詰めていく文章というモノを、僕はあまり見た記憶がない。

「今」の彼女があるのは、まぎれもなく「自分を見つめる」コトから逃げなかったから。

僕が勝手にそう思っただけだけどね。ご本人からすれば「そうじゃない!」ってお叱りを受けるかもしれないけど。


彼女の記事をきちんと読むのには、ある意味体力が要る。読み進める毎に、自分に突きつけられる「自分自身の弱さ」が浮き彫りになるから。

五十路を超えたのに、その当時まだ20代前半の人が書いた文章に、動揺しっ放しだ。

その頃。自分が20代前半の頃。

きっと、フワフワして、なんにも考えず、突きつけられる事実と現実に、目を背けていたんだな、というコトが、如実に分かる。


まだ、半分も読みきれていないけれど。

片手間では読みたくない。

時間を作って、ゆっくり租借しながら、読みたいと思う。


この人はきっと。

これからもずっと、「自分」ととことん向かい合い続けるのだろう。


彼女は、「自分は歪んでいる」と言った。

僕もまた、歪んでいる。


彼女はその時、23歳。

僕は・・・もう52だ。


今からでも、その歪みは戻すコトができるだろうか。



「strings」 松本佳奈





かつて23歳の彼女はこんなコトを書いていた。

「46歳の私は、どんな歌を歌っているんだろう?」


でき得るならば。

杖をついても。

その歌を聴いてみたい。^ ^