こんばんわ。
台風26号が過ぎ去りました。大きな、とても大きな爪跡を残して。
伊豆大島では、3時間の合計雨量が335ミリに達し、統計史上2番目に多い雨量を計測しました。
今現在、亡くなられた方は20名を超え、夜を徹しての救助作業が懸命に行われる中、未だ27名の方の安否確認がとれていません。
報道によれば、「避難勧告」が行われなかった事、また気象庁から、新たに新設された数十年に一度しかない非常に危険な状態である「特別警報」も発令されず、これが被害を拡大させたのではないか?という報道がなされています。
気象庁では「豪雨を記録した範囲が狭かった」「特別警報は、広域的な災害を想定した基準になっており、今回のように局地的に降る猛烈な雨をカバーするのは難しい」と言っています。
今回の街を飲み込んだ土石流は、異なる数層の土壌構成によるものだと言われています。地表から順に、水を通しやすい火山灰及び軽石、溶岩、水を通しにくい岩石という構造になっていて、今回の豪雨によって、水を通しにくい層と通しやすい層の間に水が溜まり、「表層崩壊」が起きてしまいました。
本来なら、そこに生えている木々の根が土壌を固く結束させるところが、過去何度も噴火を起こし、溶岩流を噴出している三原山ですから、そこに生えた木々の根の張り方も弱かったんです。
そして、なにより今回の豪雨のピークが、真夜中の時間帯であった。これが最大の問題でした。
大島の役場では、もの凄い豪雨である事がわかっていても、真夜中の時間帯に避難警報を出して、真っ暗闇の豪雨の中、外を歩かせる事の危険性を考えて、あえて避難勧告を出さなかったそうです。
僕がもし、役場の人間だったら。そんな真夜中に「避難勧告」を出せただろうか?と考えました。
正直、難しいだろうと思いました。犠牲になられた方や、今なお行方不明の方々に対して、こんな事を言うのは違う、と思われる方もおられるかもしれません。
でも。
もし、真夜中に避難勧告を出して、その為に二次災害に遭ってしまったら・・・家に留まっていたらそんな災害に遭わなくて済んだかもしれない・・・
先ほど、住民の方がインタビューに答えておられました。「ここは確かに短時間に雨がたくさん降る事があるんです。でも、かなり水はけのいいところなので、今までこんな事になるなんて考えてもいませんでした・・・」
それでも実際、この土石流の発生を食い止める為の遊林地や堰を計画的に作っていたんです。でも、この常識を超えるような局地的な豪雨が、それらの全てを飲み込んでしまった。
「想定外」
この言葉は、東日本大震災以来、ずっと使い回されています。
自然の力は、人間の想像を遥かに超える。その事をこの国は学んだはず。でも。
全ての事柄に対して、「想定外」の事象にも対処するというのは、とても難しいですね。
二次被害の可能性を考えるのは、自治体として当たり前のコト。だって、自治体にはそんな予想能力なんて、ないんだから。
せめて。気象庁が前日23時30分の段階で「予想の範囲を超えるような雨が降るかもしれない」
そう予測していたのなら。
「豪雨を記録した範囲が狭かった」
「特別警報は、広域的な災害を想定した基準になっており、今回のように局地的に降る猛烈な雨をカバーするのは難しい」
などと言っていないで、命を優先する為の警報発令ができるようにすればいい。
そりゃあ国民から、地震警報が外れるとか、天気予報が外れるとか。批判はあるかもしれないけれど。
僕だって文句の一つもつぶやくかもしれないけど。そんなコトはとても些細なコトです。
失われた命は、戻ってこない。
そう言えば、今年ありましたね。「緊急地震速報」が発令されてそれが外れて。バカな政治家が躍起になって非難してましたね。誰とは言いませんがww。
でもね。その後のニュースのインタビューで、一番多く聞かれた答えは、なんだかんだ文句は言っても。「でも、地震がこなくてよかった」だったんです。
備えていれば、もし起こっても対処はできます。起こらなかったら。
「避難して損したわ~。疲れたし。なんだかなあ。」
そう言われる気象庁の方が、僕はよっぽどいいと思う。
災害に対して「臆病」であって欲しいと願う。
守られるべきだった命と、予報が当たらなかった事への批判。
様々な力や、憶測や、関係のない無責任な発言の圧力に挟まれた末に、縛られた「警報」の発令。
あまりにも大きな犠牲の上に、大きな大きな一石が投じられました。
どうかもう。くだらない縛り事に左右されないような世の中になりますように。
亡くなられた全ての尊い命に。
心からお悔やみ申し上げます。