また逢う日まで | yukkiのFUN!FUN!MUSIC♪

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ご閲覧いただき、ありがとうございます!YUIちゃんと植村花菜さんを応援していきたいと思い始めたブログですが、今では洋・邦問わず好きな音楽を書いています。只今絶賛ライヴにはまり中ww「広く、浅く」がモットーです!どうぞお気軽に。           

こんばんわ。



ピグ部屋に差し入れいただきました!

$yukkiの音楽狂?時代~melomania~

カップケーキです!BELLさん、ありがとうございます!美味しくいただきましたよー!ニコニコ



今日の記事の前に。

もう随分前から親しくさせていただいているブロ友さんのところに、昨日の晩ペタに伺ったんですが・・・

「アクセスされたページは見つかりませんでした」の表示が・・・

何度かアクセスし直してみましたが、同じ画面が表示されるだけでした。今でもピグの部屋や、ライフ・アイランドには伺えるんですが、それも早晩できなくなるでしょう。


とても真面目で、とても義理堅く、優しくて温かくて爛漫で・・・いつも全力投球の一生懸命な方でした。僕はいつもとっても力をもらえていて。

他に交流があった方にも何もおっしゃらずに退会されたようなので、なにか緊急な事があったのかもしれませんね。

今までも、大切なブロ友さんが退会されてしまった事がありました。その時毎にとても激しく落ち込みます。リアルであろうと、バーチャルであろうと、交わした言葉や想いに嘘はないですから。


ブログを始めた頃の僕は、このバーチャルの世界を正直信じていませんでした。どちらかと言うと猜疑心が勝っていたかな。顔も名前も知らない同士でコメントし合ったところで、気持ちなんて繋がらない。そう思っていたから。

でも、それが勘違いも甚だしい、自分勝手な考えだったという事に気付くまで、そう時間はかからなかった。皆さん、まるで旧知の友人のように、親身で温かいコメントをくださった。

リアルにお会いしてお話をさせていただいても、その印象は変わらないどころか、より一層親近感が沸いてきて。見た目のイメージは違っていたとしても、お一人として、そのお人柄が違う方はおられませんでした。


そんな中で、その方は僕がブログを始めて間もない頃からのお付き合いだったんです。それだけに今回はさすがに・・・落ちました。辛いです。でも。

きっと止むに止まれぬ火急の理由がある。だから落ち着いたらきっと戻ってきてくださる。そう信じて待ちたいと思います。

今までも戻ってきてくださった方がおられて、本当に本当に嬉しかった。だから今度もきっと。

戻ってきてください。心待ちにしています。




去る5月31日、またしても悲報が流れましたね。

尾崎紀世彦さんが亡くなられたそうです。もう皆さんもご存知の事と思います。享年69。一時は失踪されたのではないか?という報道もありましたが、昨年から体調を崩されて闘病生活をされていたんですね。

2010年には胃がんの手術をされ、一時は歌手活動を再開できるまでに回復されたそうですが、その後肝臓などにもがんが見つかり、治療されていたのだそうです。

あの無尽蔵の声量と、迫力ある歌唱をもう聴く事ができないのは、とても残念です。



僕が小学校3年の春、それまで単身赴任していた父と一緒に暮らす為、茨城県の取手市というところに引越をしたんです。それまでは東京の府中市というところに住んでいました。

その頃の僕は友人もたくさんでき、また府中という街がとても好きで、正直引っ越すのは本当にイヤでした。泣いて拒みましたが、所詮子供の言うコトです。どうにもならずにある土曜日、母と二人東京を後にしました。あれは5月だったか、6月だったか・・・

友人も何人か家まで来てくれましてね。泣き笑いしながらお互いの肩をなぜかバシバシ叩き合いながら、別れを惜しんだ記憶があります。母も目を真っ赤にしてたような気がします。


取手の小学校に転校してからは、しばらく辛い日が続きました。転校して数日しか経っていない時、クラスのちょっとヤンチャなヤツがゴチャゴチャ言ってきましてね。何を言われたのかははっきり覚えていませんが、かなりムッとしたんですね。で、「うるせえな」っという意味でそいつを押し倒したんです。その当時、僕はかなり口下手で、上手く切り返せないのが悔しかったんです。

そんなに強くやったつもりはないんですが、結構な勢いで倒しちゃいましてね。そいつ泣いちゃったんです。しりもち着いた時に手首も挫いちゃったみたいで、結局母親が学校に呼ばれてかなり絞られました。

それからしばらくはクラスで浮きまくりましてねー。誰も口をきいてくれない。(;^_^A

唯一、そのいざこざの時の状況を近くにいて知っていた何人かの子達だけ、人目を避けながらも声をかけてくれましてね。ありがたかったな。


そんな時に、巷で大ヒットしていたのが、尾崎さんの「また逢う日まで」でした。

誰とも遊ばず真っ直ぐ家に帰って、ラジオを聴くのが楽しみなくらーい小学生。(笑)

この曲が流れてくると、よく一緒に口ずさんでいました。だから今でも歌詞を見ずに歌えますよ。チョキ

この曲には当時、随分と助けてもらいました。親しい友人と別れて、新天地ではみんなにシカトされていた僕には、本当に心に沁みました。






「また逢う日まで」 尾崎紀世彦


また逢う日まで 逢える時まで
別れのそのわけは 話したくない
なぜかさみしいだけ なぜかむなしいだけ
たがいに傷つき すべてをなくすから

ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時心は何かを 話すだろう


また逢う日まで 逢える時まで
あなたは何処にいて 何をしてるの
それは知りたくない それは聞きたくない
たがいに気づかい 昨日に戻るから

ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時心は何かを 話すだろう

ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時心は何かを 話すだろう



そいつとは何か縁があって、4年になっても同じクラスで、何かと言えば反目しあってました。(笑)

4年の3学期、また父が転勤になるコトが決まって、東京に戻る事になったんですが、その時、なぜかそいつが見送りにきてくれましてね。

お互い何も話しませんでしたが、どちらからともなく握手しましてね。別れました。

しばらく年賀状のやりとりをしていましたが、僕が何回目かの引越の時に住所を書いたアドレス帳とそれまでの年賀状を失くしてしまって、やりとりは途切れてしまいました。

あいつ、今頃何やってんだろ。


一回でいいからww

逢ってみたいな。


僕が音楽という世界のとりこになる、そのきっかけをくれたのはBeatlesでしたが、その出会いの3年前。ひょっとするとこの曲との出会いが、既にそのきっかけだったのかもしれません。


類稀なる素晴らしい歌唱力を持った、本当の本物のヴォーカリストに。


心からご冥福をお祈りいたします。


合掌。