人生が二度あれば | yukkiのFUN!FUN!MUSIC♪

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こんばんわ。



今日は月一の定例会議で、大嫌いなスーツを着て都内に出かけてきました。毎度の事ながら疲れる・・・ショック!

毎日スーツでお仕事されている方々。本当に尊敬します。(ノ゚ο゚)ノ



今日はちょいと重い記事になると思います。あまり使いたい言葉ではありませんが、「死」「殺人」と言った言葉をやむなく使っています。読みたくない方はどうかスルーしてくださいね。


1999年に起こった山口県光市の母子殺人事件の最高裁判決が出ましたね。結果的に弁護側の上告は棄却され、被告の死刑が確定しました。

この凄惨極まる事件の概要は以下の通りです。


「当時18歳の少年Aが山口県光市の社宅アパートに強姦目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入した少年Aは、女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して窒息死させた。

その後少年Aは女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘(生後11カ月)を殺意をもって床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させた。そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。

少年Aは盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の1999年(平成11年)4月18日に逮捕された。」
(Wikipediaより)


まさに鬼畜の如き所業です。これに対し、弁護側は「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した傷害致死事件。凶悪性は強くない」と主張、被告人も以下のような主張をしました。

○強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた
○(乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ
○乳児を押し入れに入れたのはドラえもんに助けてもらおうと思ったから
○死後に姦淫をしたのは小説『魔界転生』に復活の儀式と書いてあったから

ちなみにこの主張は一審では行っていません。二審以降「生き返らせようとしたと話せば、馬鹿にされると思ったから」「ドラえもんの話は捜査段階でもしたのだが、馬鹿にされた」等と説明しています。

まあ、およそ小学生でもこんな稚拙なコトは言わないでしょうね。いえ。むしろ心神喪失状態もしくは心神耗弱状態であった事を主張したいが為に、あえておかしな言動をとっているとしか思えない。腹が立つほど姑息です。

泣き止ます為に死ぬほどきつく蝶々結びをしたと?じゃあその前に床に投げつけたのも泣き止ます為?ドラえもんも本当にふざけていますし、「魔界転生」に至ってはそのような儀式は存在しません。性的な目的でわざわざ作業服を着て押し入るという計画性。声を出されて首を絞めて殺した後、性的行為に及ぶ。さらに幼児を手にかける。あまりにも惨い。もはや殺意があったとかなかったという範疇ではないでしょう。

これ、唯一死刑判決に反対した裁判官が言う「年齢に比べ精神的成熟度が低く幼い状態だったとうかがわれる」んでしょうか?もっと言えば、そういう状態なら人を殺めても仕方がないと?情状酌量の余地があると?


被告人が獄中から友人に宛てて出した手紙があります。恐らく一審判決「無期懲役」前後の事でしょう。被告はここで信じられないような文章を書いています。


「終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」

「無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す」

「犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか」


この文章を読んだ瞬間に、吐き気がしました。

「死刑」を免れそうになった事でつい気が緩んだんでしょう。しかし、ここに「反省」「後悔」「懺悔」の気持ちは微塵もない。

命には命をもって報いよ、とは言いません。

しかし、この被告人の書いた文章を、小学生でも言わないような馬鹿げた言い訳を、遺族はどんな思いで見、聞いたんでしょうか。

ご遺族の方が一審「無期懲役」判決の後、会見でおっしゃったこの言葉が、忘れられません。


「被告人をなるべく早く外に出してください。僕が殺しに行きますから」




「人生が二度あれば」 井上陽水





父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た

父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔を じっと見ている

人生が二度あれば
この人生が二度あれば

母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった
母の細い手
つけもの石を 持ち上げている

そんな母を見てると 人生が
だれの為にあるのか わからない
子供を育て
家族の為に 年老いた母

人生が二度あれば
この人生が二度あれば

父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように

人生が二度あれば
この人生が二度あれば
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
この人生が



子供を育てる事も、家族の為に生きる事も全てを突然理不尽に奪われた被害者の方に。

心からご冥福をお祈りいたします。