こんばんわ。
今日は風は強かったけれど、暖かい一日になりましたね。
この暖かさがそう遠くない、なるべく早い時期に、被災された方々の元に届けられたらいいですね。
さて、一つけじめをつけなければいけない事があります。
「caoさんの記事」についてです。
僕は、彼女の文章を見た時、愕然としました。恐怖を感じた、と言った方がいいかもしれない。こんなにも辛く苦しい時を過ごしている人達が、今だに救援の手もなく、寒さに、空腹に、恐怖に震えて真っ暗な闇でじっと耐えている。文章には切羽詰った必死さが感じられました。
やっぱり報道に載る事のない現実というものがあるんだ、と思いました。
ブログに転載し、皆さんにも記事を紹介し、もっとたくさんの方々の目に触れてもらいたい。そう思ったのは事実です。ひょっとして、それが警察や消防、自衛隊、報道の方々の目に止まって救援の手を差し伸べてくれるんじゃないか、そうも思いました。
そんな時、その「caoさんの記事」について、疑問を感じておられる方々の文章を目にしました。
「あれは嘘。アメブロだけじゃなくてMixiにもアップされていた」
「想像以上に反響があって、怖くなってブログを閉じた」
というものでした。また、こうも書かれていました。
親子で泥まみれになるほど水につかり、泥水を飲む程の状況で、何故携帯が無事なのか。
ブログを書いていた時、停電で真っ暗闇の環境で、記事など書く余裕があるのか。
子供が意識不明の状況で、あれだけの長文ブログが書けるのか。普通パニックになるのではないか。
そもそも携帯の電波が混乱してほぼ壊滅状態だったのに、どうやって送信できたのか。
確かに指摘されている事は、理に適っています。もしも僕がそこにいたなら・・・目で見て耳で聞いて体験した事ではありませんが、報道のあの悲惨な現地の有様を見れば、恐らくパニックを起こし、正常な判断などできない状態になるでしょう。
でも、それもあくまでも後から考えれば、という推測でしかありませんが。
ご本人が既にアメブロを退会されているので、確かめる術はありません。謂れなき誹謗中傷を受けたのではなく、良心の呵責でいたたまれなくなったのかもしれません。
でも、一つだけ僕が思っていることがあります。あくまでも僕個人の考え方です。
これが、真実であったとしても、創作されたものであったとしても、僕は別にかまわない。どっちでもかまわない。そう思っています。むしろ僕は彼女に感謝してる。
彼女の文章に心を揺さぶられたのは紛れもない事実なんです。そして、実際たくさんの方々の心を動かして、広がった。その事によって、未曾有の大災害の怖さや辛さや悲しさを感じる事ができた。決して報道だけ見ていても伝わる事のない、闇の部分。
そして、ひょっとしたら、本当に救援に向かう方々の目に触れたかもしれない。その事で助けられた方々がいるかもしれない。そう、あくまでも「仮定」の話です。
きれい事ですね。そう思われても仕方ありません。
ただ。僕がこのブログに記事を転載し、皆さんに拡散をお願いしたのは事実です。皆さんにとても嫌な思いをさせてしまった。ブログというのは、誰でもが閲覧できるものです。だからこそ、正しいものなのか、間違っているものなのか、検証して確認できる事以外を載せてはいけないんですね。
政府でも不確かな情報拡散は厳に慎むべき、という見解だそうです。
僕が、感情的に載せてしまった記事で、皆さんには本当にご迷惑をおかけしました。深くお詫びいたします。
本当に申し訳ありませんでした。
これから先、もちろん被災者の方々の暮らし、壊滅的な打撃を蒙った町の復興、今もなお最悪の状況を回避すべく懸命な作業が続けられる福島原発。その他東北、関東のあらゆる被災地で起こる様々な出来事。
心から応援しています。そして、不幸にして亡くなられた尊い命に、心よりお悔やみを申し上げます。
今日を最後に、震災の記事を書くことをやめようと思います。もう不確かな事を書く資格は僕にはありません。自分の目で見、耳で聞き、手で触ってわかったことだけを、真摯に書いていこうと思います。
本来なら、ブログを辞めるのが筋なのかもしれませんが、それは逃げるだけになってしまうし、皆さんには何かの形で恩返しをしたい。
といっても、僕にできる事は、相変わらず音楽をお届けすること位なんですが。
本当に、本当に、ごめんなさい。
「今日までそして明日から」 吉田拓郎
わたしは今日まで生きてみました
時には誰かの力をかりて
時には誰かにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと
わたしは今日まで生きてみました
時には誰かをあざ笑って
時には誰かにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと
わたしは今日まで生きてみました
時には誰かに裏切られて
時には誰かと手をとりあって
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと
わたしにはわたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
けれど それにしたって
どこで どう変ってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんなわたしです
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと