今晩は、冷凍してあった鶏胸肉を解凍してよだれ鶏を作った。
後、ポテトサラダ。
残り物のおでん。
相変わらず、飲んでいて、消化出来ない事がある。
聞いてもらえないだろうか。
この女性
どこか、相いれず、無神経な女性だと思っていたけど、ダメ押しが来た訳なんだ。
彼女が言う。
どれだけ、自分の娘達が、優しいのかを。
たとえば、娘に渡したお金を、娘は、親の彼女の家事代行サービスを頼んでくれて、部屋の掃除をしてくれたとか、いろいろ話す訳なんだ。
その後、こんな事も言う。
「娘ってね、案外、辛辣で、電車に乗っても違う席に行っちゃうし、優しくないの」
聞いている私は言うよね。
「アハハ!子供って、どこか手厳しいところがあるっていうもんね。」
そこで、彼女、こう言った訳だ。
「だからさぁ、〇〇さん(私の事)も、子供を手放したのは正解って事、
子供なんてろくなもんじゃないのよ!」
私「…………
」

彼女の暴力?ともいえる、彼女特有の思いやりに、私は、二の句も告げすに沈黙した次第で。
彼女は、散々、自分の子供の自慢をして置いて、ふと、私の置かれている実情に思いを馳せたんだろうと思う。
でも、その言葉の残酷さも、気付かないで、さも、思いやったように話す、その偽善さ。
わかっているよ。彼女に悪気がない事も。
でもさ…でもさ…と思う私は、おかしいんだろうか。
彼女の暴力じみた?言葉をどうわかってもらうか、考えてみた。
テレビコマーシャルで、こんなのがある。
「最後の一口を残す前に、最初の一口も食べられない人もいる」
その人に、こんな風に言うと同じもん。
「最後まで食べろ!って言うけど、お腹いっぱいで苦しいもんよ。なら、あなたみたいに食べない方がまし」
そうだな…
こんな言われ方に似ていると思った。
子供の良さも、その子供にじゃけんに扱われる不満?も、私は、味わって来なかったし、これからも味わう事がない。
それを、のうのうとこぼす面の皮(言っちゃった)
多分、彼女は、私に気を使ったんだろうと思う。
でも、それがどれほど残酷なのかを思い至らない。
彼女に、聞いてみたくなる。
「貴女は、子供と離れたら、恋しいと思わないんですか」
その答えをわかっている人なら、あんな言葉にはならないと思う。
私は、いつも思うのが、人との付き合いは想像力だと。
自分では、分からなくても、相手の立場になってみる事だと。
そう思う訳なんだ。
だから、思う。
今、私も罹った、乳がんに苦しんでおられる方がいる。
私は、コメントを残していいものなのか、いつも逡巡する。
私は、相手の彼女達の思いをわかっているのか、その苦しさを知っているのか。
コメントを残させてもらうけれど、もしかしたら「お前なんかに言われたくない」と思っているのかも知れない。
だとすると、人を思うって、さいはてがなくて、どの言葉がフィットするなんて、当事者しかわからないのかも!と思う。
それならば、冒頭に話した、この女性も、私を慰めたかった、その一念だったのかも知れないと思ってみたりする。
そうすると、人との付き合いって、ある種の余裕とか、許すって事なのかも知れないと思ったりする。
私の敬愛する、年上の女性はこう言った。
「貴女は、ただ、若いのよ。」
もう、ばあさんだけれども、多分、私は、このままだ。
それで良し!とするしかないと、酔っ払った頭でそう思う。
納得…