うねりのように、言葉がよみがえって来たり、負けるものか❗と思ったり、落ち着かない自分がいる。
相手は、こう言っていた。
「◯◯さん(私の事)は、強いね❗」
私は、この人は、私の打たれ弱い面も、些細な事を考え込む性格も知ってくれていると思っていた。
でも、強いと来た訳だ。
ならば、強くならなくちゃ❗
この友人が、大好きだったから、余計、そう思う。
強くなろう…強く…強く…
私の表面に見えるところを捉えて、そう発せられた言葉なら、絶対にそうなってやる。
こんな弱々しい面など、見せるものか❗
一生懸命、涙を堪える自分がいる。
感情を吐き出した方がいいと、朝っぱらから酒を飲んでも、2杯飲めればいい方で、こんなノンアルコールのオールフリーでおのれをごまかして、
なんて弱い自分なんだ❗と、自分自身に嫌気が差す。
今の正直な気持ちは、この相手の事をどう思って行けばいいのかと考えていて、もう認められない、受け付けられないという気持ちと、あんなにいいと思った人なんだからと、自分に言い聞かせる気持ちが、相半ば(あいなかば)して、愛情と増悪(オーバーだが)は、表裏一体なんだと思った。
どうして人は、自分の正直な気持ちを、相手に伝える時に、言い過ぎてしまうんだろう。
相手が話す、私への率直な気持ちが、やもすれば、それを聞く私がどれだけどん底の絶望を感じるとは思わなかったのか。
私は、それだけ悪い事をしたんだろうか。
そうだとしたなら、何を❓
何をしたから、ここまでの言葉を聞かなきゃならなかったのか。
話し合いには、どんな着地になるか、それを考えてないとダメな訳で、相手は、私との絶縁を望んだのか。
なら、わかったとしか言い様がない。
私も、この煮え湯のような思いの後で、前の気持ちになどなれない。
と、ここまで書いてきて、やっぱりいつものニコニコ笑う私を見せるだろうと思う。
この相手に、人とギクシャクした思いをさせたくないからだ。
私は、さも気にしてないように、バカ面して、おどける鉄仮面を演じるんだろう。
なんたって、強い◯◯さんなんだから。
この相手の「ちょっと言い過ぎたな」の思いを軽くしてやろう。
私は、何も気にしてないと、いつもの明るいお調子者の◯◯さんで行くしかないな。
気持ちの奥底にある「私を助けて」が、自分でも痛い。
こんな気持ちの私を助けてと思う。
実生活では、そんな事は言えない。
心配をかけてしまうし、弱い自分を見せられないからだ。
八方ふさがりの私…
ここで、息抜きをして、現実生活では、元気に振る舞おうと思う。
それまでしばしの時間をもらおう…