1ヶ月 | いつも心にアロハを

いつも心にアロハを

いつだって人との出会いは一期一会 
ここで会ったのも何かの縁
はじめまして これからもどうぞよろしく

3月11日午後2時46分 三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の


東日本大震災から今日で1ヶ月が経ちます


もう、1ヶ月。なのか、まだ、1ヶ月。と思うのかは、人それぞれですが


この1ヶ月でいろんなことがめまぐるしく変わったことだけは確かです


「何もないところ」「田舎」と思って、あまり好きではなかったわがふるさとだったけど、


今は福島が大好きだと大きな声で言えます





震災をうけ、原発問題が起き、生まれ育った場所に帰れない人たちが大勢いて


みな声をそろえて言うのは 「早く家に帰りたい」 「生まれ育ったこの町が大好き」


そして津波に流されて何もなくなった町だけど「自分の町を誇りに思う」と力強く言う中学生もいました

今回のことで命の重みを、本当の意味で知った子供たちは多いはず


父親を津波で亡くし・・・亡くしたといっても遺体は見つからないのですが・・・


「お母さんを支えたいです」そして「(父親と同じ)教師になりたい」と言った男子中学生


高校を卒業し「復興のために地元で働きたい」と言った男の子


きっとみんな、漠然と日々過ごしてきて将来の事とか自分の故郷の事なんて考えていなかったと思う


だけど、命が助かり自分が何をすべきか、何をしたいかが見えてきたんだと思う


家も仕事も車も、そして家族もなくなってしまい、残ったのはローンだけ。という人がたくさんいます


それでも、「生き残った人たちが一歩ずつ進まなければ」と言って復興のために活動をしています

一方、家も家族も仕事も失わずにいるのに「放射能が怖い」と言って仕事に来ようとしなかっただんなの部下


新卒の彼は「俺には所長みたいなボランティア精神はないです」と言ったそう


ボランティアじゃないだろうビックリマーク給料をもらっている仕事だろうビックリマーク


しかも、重機を扱う仕事なので復興のためには絶対に必要な職業なんだからすぐにやらなきゃだろうビックリマーク


だんなは大震災発生後から3日間は家に帰らず(発生当日の夜には一度帰宅したけどそのまま会社へ)


各地に赴き重機の手配やガソリンや救援物資を運ぶために仕事をしていました


だんなだけじゃなく、ほかの社員、女性事務員でさえ「必要だったら出勤します」と言っている中での、


その新入社員の発言(4月になったからもう2年目)


なのに、「食べるものが何もないんです」と訴えるから、だんなは会社で働く社員のために確保しておいた


カップ麺や缶詰を分け与えたという


微量な放射性物質にビビッて仕事をせずスーパーにも並ばずに家の中に閉じこもって過ごし「腹減った」だと!?


「仕事したくないって言ってるやつを無理に引っ張り出すことも出来ないだろ 


でもメシがねえって言うんならくれてやらなきゃだろ」とだんなは言うけれど、


もし自分の家族がそんなことを言っていたらビンタしていただろう


原発のすぐそばで命を懸けて働く人たちがもしも「怖いから」と言って一斉に逃げ出したらどうなるんだ


みんながみんな、放射能が怖いから。と言って仕事を投げ出したらライフラインも物流も途絶える


働かなければお金はもらえない


お金がなければ食べ物は買えない


食べ物がなければ死ぬしかない


自分だけが助かりたくて、家にいて、誰かに面倒を見てもらおうとするなんて、どれだけ自分勝手なんだろう




まぁ、そんなヤツはごく一部だと信じたい


たいていの人たちは、この震災で何が大事なのかがわかったと思います


そして、人間関係でも深く考えるきっかけになりました


考え方が同じ人、全く一緒でなくても、同じ方向を向いている人じゃなければ付き合う必要はないと思っています




さて、震災後の一番大きな余震が7日夜11時32分に発生して、残念ながらまた被害の出たところがありました


我が家はまたしても食器が割れ、指を切りましたが、他は無事でした


先月もそうでしたが、その日もだんなは家におらず仕事中


2階で寝ていた次男坊ひーを起こしておぶって下に連れて来たのは長男坊たー


だんなは仕事で外に出て、我々は常に3人一緒で過ごすというのは、きっとそういう運命なのね


夫や父親としてはノーコメントだけど、「仕事人」としては、かなり尊敬できます

「誰かがやるだろう」じゃなく、「自分がやらなきゃ」という考え


13日には防護服を着用して放射線の数値を測る機械を持って、10キロ圏内に仕事に行くそうです


その後はスクリーニング検査をして帰ってくるらしい




「家族が大事だけど、その家族を養うために仕事をする」

そういって、原発で復旧作業に向かう東電の下請け会社の社員の方もいました

命が惜しいからと言って逃げるのではなく、生きるために命を懸けて働く人たちがたくさんいるのです




今思うと、震災前の「タイガーマスク運動」は、この震災後に多くの人たちがボランティア活動をする


きっかけを与えた気がします


特定の相手だけじゃなく、世の中の人のために何かしたい。と言う気持ちはなかなか形に出来ないけれど


タイガーマスク運動で徐々に芽生えてこの未曾有の大震災が発生したことで一気に広まったようです


被災地の方は物もほしいけど、人の温かい気持ちもほしいと思います


1ヶ月が経って、徐々に忘れられていく恐怖があると思います


計画停電の実施はしばらく行わないし、物流は元に戻って


被災地以外の場所では普段どおりの生活をしていると思います 福島市に住んでいる我々もそうです


だけど、まだまだ復興の途中の場所があり、将来に不安を抱いている人たちがいるということだけは


忘れないようにしたいし、忘れないでほしい


桜は満開になり、最初は自粛を勧められていたお花見ですが、花見自体はいいことだと思います


ただ、どんちゃん騒ぎをしてケンカをしてゴミを散らかしていって・・・ということをせずに


東北のお酒を飲み、東北のものを食べ、最後に義援金を寄付する。・・・というように


楽しみながらも被災地の事を思ってくれれば。


お金がある人はどんどん使って経済を潤してほしい 旅行も結婚式も盛大にすればいい


そして、周りにいる人たちとの絆を深めればそれが復興への協力になると思うのです




東日本大震災から1ヶ月


復興に向けて、自分のすべきこと、できることをして頑張ろう