あなたのDNA増やして、無実を証明しませんか? 科捜研の女15 解説 | == 肖蟲軒雑記 ==

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【科学鑑定に必要なDNAの大量複製方法】

 前の記事 で述べたように、『科捜研の女』では、指紋や微量の体液から採取したDNAがしばしば証拠として用いられる。だが、現在の微量測定技術をもってしても、個人識別をするには採取した試料の量では全く足りない。DNAの情報は先週の記事で述べたように、塩基の配列という形をとっている。調べるにはその正確な複製が大量になければならないのである。

 

 DNAはそれ自体が複製できる能力を有する分子でもある。この性質を巧みに使って、アメリカのキャリー・マリス(Kary B. Mullisは、無細胞系で同じ配列のDNAのコピーを何十万倍にも増やすPCRPolymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)という方法を開発した。1980年代のことである。




 このPCRはすぐさま生命化学の研究室に必須の方法となっただけでなく、ミイラや化石から採取したDNAを調べることで人類学などにも用いられるようになった。同じ配列のDNAコピーを短時間で何百万倍以上に増幅することが可能になったからである。もちろんドラマで語られているとおり、犯罪捜査の現場でも使われるようになっている。なお、この功績が評価され、マリスは1993年のノーベル化学賞を受賞している。

 

PCR

 以下にその原理を解説する。






 最初の図を見ていただきたい。増幅させたい(科捜研なら「鑑定したい」)DNA試料のほかに用意するものは、DNAの材料となるA,G,C,T4種ヌクレオチドが大量、DNAポリメラーゼ(図ではDNA合成酵素)、そしてプライマーと呼ばれる20塩基ぐらいの)短い一重鎖のDNA2種(ポリメラーゼはこれを足がかりに複製を始める)である。DNAポリメラーゼは一重鎖のDNAに対して相補的な塩基をつなげていくことができるのだが、「ここからコピーをします」という付箋のようなプライマーがなければ、複製を開始することはできないのである。

 

 PCRで実際に行うことは、試料に上記三者を混合した溶液を作成したら、温度をプログラムに従って上下させるだけである。下にあるように、室温(約20℃)→95℃→37℃→72℃→95℃に戻る(以下繰り返し)のサイクルである。

 

 このサイクルの中ではどのようなことが起こるのか、図を追って説明する。なお、図中の①~④はサイクル中のステップを表し、右下に添えた小さな数字はサイクルの回数を示している(例:②3なら3サイクル目のステップ②)。





① 95℃。DNAは安定な分子だが、高温になると二重鎖を形作る塩基の間の結合がはずれ、一重鎖になる。

 

② 37℃。プライマーがDNAに結合する。2種のプライマーは、分離した一重鎖上の複製をつくりたい部位を、このように両側から挟み込むよう、相補的に結合する配列をもっている。プライマーはDNAに対して大量に加えるので、分離したDNA同士がタマタマ元にもどることはない。

※ ヒトのDNAの全塩基配列は2000年に解読されているから、STRを挟むプライマーの準備はそれほど難しくなく、既製品のキットとして購入できる。

 

 

③ 72℃。プライマーを足がかりにDNAポリメラーゼが働き、それぞれの相補鎖が伸びる。

※ 一般にタンパク質は温度が高くなると、卵がゆで卵になるように変性して機能がなくなる。しかし、温泉などに棲息する高温を好んで増殖するバクテリア(好熱菌:Thermus aquaticus)が持っている酵素(バクテリアの学名をとって、Taqポリメラーゼと呼ばれている)は当然熱耐性なので、これを用いれば高い温度でも変性することがなく使用に耐える。

 

次の図は2サイクル目である。




やっていることは同じなので説明は省略する。ただ、④の★に注目していただきたい。1サイクル目で複製の開始点だったプライマーの先にDNAは当然ないので、逆方向から始まった2回目の複製はここで止まってしまうのだ。プライマーから始まった部分を越えた複製はされない、言い換えると、増幅させたい部分が(片側の一重鎖で)限定されたことになる。

 

3サイクル目である。




やっていることは上同様同じなのだが、2サイクル目で限定された一重鎖の複製が終了すると④の◎で示す、複製させたい部分だけからなるDNA二重鎖ができる。

 

4サイクル目以降である。




あとは、2つのプライマーで挟まれた二重鎖が倍々ゲームで増えていくのみだ。中途半端な長さのDNA鎖もサイクルの回数分足し算で増えていくが、20サイクル目で、19/1,048,536 0.002%と無視できるほどの割合になっており、解析の障害になることはない。

 図には30サイクルでの値が示してあるが、これはあくまでも計算上の話であり、実際には、材料であるヌクレオチド量の減少に伴ってTaqポリメラーゼの反応速度が低下するなどの様々な理由で、これほど効率が良いわけではない。

 

 

 

次に示すのは、工藤貴志岡田義徳)を自供に追い込んだ、彼のブレスレットから見つかった落合刑事池上季実子)のDNAの鑑定結果である。





実際には、もっとたくさんのSTRを組み合わせているはずだが、ドラマ中ではせいぜい4つしか示されない。しかも今回は4番目が半分しか見えない。

 

 だがこんな小道具でも、実在するSTRのコードネームがつかわれており、しかも性別の鑑定結果までついている。ちなみに前回(第14話)に出てきた工藤DNA鑑定結果では性別鑑定がちゃんとXYになっていた。スタッフの芸の細かさに脱帽する限りである。


 

【キャリー・マリスについて一言】

 最後に、この解説を書くに当たってPCRのことを復習して改めて感じるのは、その巧妙さである。後から説明されれば、全て「そりゃあそうだろう」ということばかりだが、すべてコロンブスの卵である。別荘へのドライブの途中に、このアイデアを思い浮かべたキャリー・マリスという人物はただ者ではないのだ。

 そのひとつの証拠、というわけではないが、彼が大学院に入りたてのころのエピソードを紹介して終わりたい。




 名門カリフォルニア大学バークレー校の生化学課程大学院に在籍中、本業での生命化学研究のかたわらにひらめいたアイデアをもとに理論物理学の論文「宇宙論における時間の逆転の重要性」を超一流雑誌Natureに投稿し、二度の却下にもめげずに論文を書き改めて、とうとう掲載までこぎつけたのだ。これが24歳のときのことである。専門外のしかも理論物理学という超ムズカシイ分野の論文を超一流雑誌に掲載させることから見て、その能力は卓越したものであることは疑いがない。


 加えて、専門外の(趣味的な)投稿なのだから、却下されたら、「ま、(片手間だから)こんなものか」と本業の生命化学に戻るのが一般的だろうが、ここで書き直しを二度してまで掲載させるという粘り腰。強靱な精神力の持ち主と言ってもよいだろう。




 ただ、個性を尊重するアメリカにあっても、彼は極めて特異な存在であったらしく、周囲との軋轢は絶えることはなかったそうだ。PCRの開発の影には、彼をひたすら理解してバックアップを惜しまなかった、上司であり大学時代からの親友でもあったトム・ホワイトがいたのである。

 

【参考文献など】

・B.アルバートら著 「エッセンシャル細胞生物学 原書第3版」 南江堂 (2011

・野島 博著 「分子生物学の軌跡 パイオニアたちのひらめきの瞬間」 化学同人 (2007

・九町健一(鹿児島大学大学院理工学研究科准教授)のサイト (教育のページ:出前授業のプレゼンテーションファイル)

・STRのデータベース(英語)


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