今シーズンの『科捜研の女』も残すところあと2回。前後編に別れた今回は、どうなるのかわからないヒキで次回へ…ということになった。
「あなたのDNAと照合して無実を晴らしますか?」(by榊マリコ)と、ドラマ中では切り札になるDNA鑑定も、捏造の前には無力であるかに思われるストーリー展開である。前半では、強引な鑑定で殺人事件を見つけたにも関わらず、容疑者工藤貴志(岡田義徳)(の協力者)によってアリバイが捏造された可能性が、後半ではその工藤を追い詰めるため落合刑事(池上季実子)によって証拠が捏造された疑惑が暗示されている。
「さあどうする」という状況であり次回が楽しみではあるが、今回の展開では2つの不自然なことがあった。
ひとつめは、工藤が自白をした、と最初に語られた部分だ。普段なら、どうして望月達也(東山龍平)を殺したのか、という二人の関係や動機の部分を土門刑事(内藤剛志)や蒲原刑事(石井一彰)、場合によっては業務外であるにも関わらず榊マリコ(沢口靖子)が出しゃばって調べるはずなのに、そこは全くスルーされている。この展開では、次に来るのは自白そのものが無効であることしか予想できない。はたしてそうなった。
ふたつめは、落合刑事によって持ち込まれた新たな証拠を前にして、榊マリコが「鑑定で事件性のない証拠を出します」と結果ありきの鑑定を口にしたことである。普段の彼女なら、「細心の注意を払って鑑定します」とか「決めつけをせずに鑑定します」と言うところなのである。
自他共に認める公平な科学者である榊マリコ(たち)の像、あるいは、(良いか悪いかは別にして)科捜研と捜査一課との連携、をわざと抜け落とさないとピンチをつくることはできない、ということかもしれない。
今回はまだ切り札になっていない、そのDNA鑑定である。以下余談では、そのDNA鑑定の原理を簡単に紹介したい。3月になって、そろそろ新年度の講義教材作成のため作図したからというわけではないのだが…
【DNAという分子】
最初の図はDNAの模式図である。図中で塩基と示した4種類の単位(A、G、C、T)がどのように配列しているかが、あらゆる生物の性質を決定する遺伝情報である。塩基は糖とリン酸からなる骨格部分(同じものが繰り返し繋がっているので鎖と呼ぶ)から飛び出しており、決まった相手(AとT、GとC)と必ずペアを組んで結合することで、通常は図のように二重鎖の状態をとる。この塩基のペアのことを塩基対と呼ぶ。ヒトの場合、31億の塩基対配列が一セットでゲノムと呼ばれる遺伝情報となり、24種類の染色体に分割されて細胞の核内に保持され、生殖を通して子孫に受け渡される。
なお、リン酸が負電荷を帯びているため、長い鎖のDNAは強い陰イオンの性質を示す。
4種の塩基が決まった相手と塩基対をつくる性質のため、DNAは自己複製ができる能力を有する。塩基対間の結合は縦方向に比べて弱く離れやすい(ファスナーのような感じ、というのが身近な例だろう)。
二重鎖が離れると、糖+リン酸+どれかの塩基、という単位(ヌクレオチド)が塩基のペアリングを目標に結合し、その後骨格部分がつながる。上で書いたように、ペアの相手は厳密に決まっているため(相補的という)、それぞれの側の鎖を元にしてできる新しい鎖は、離れた片割れと全く同じ塩基の配列となる。つまり、同一の二重鎖が二つできることになる。
なお実際の複製では、さまざまなタンパク質因子の手助けが必要なのだが、ややこしいので図では省略した。
【個人を特定する】
さて、体(細胞)の働きは原則としてタンパク質が司る。体で働くタンパク質というと、生体反応を触媒する各種酵素や筋肉のアクチン・ミオシン、皮膚や骨のベースとなるコラーゲンなど様々であるが、荒っぽい言い方をすれば、いずれも20種類のアミノ酸の並び方と数が異なるだけである。
このアミノ酸の配列を決める情報は、遺伝子と呼ばれるゲノム上の特定部位の塩基の並び方である。遺伝子というのはタンパク質をつくるための設計図、と言い換えることもできる。ゲノムにはこの遺伝子以外の部分で、遺伝子が働く(=タンパク質がつくられる)タイミングを決めるなど調節がなされる。つまり、遺伝情報は全体としては、設計図とその使い方の両方が含まれる、生命活動のマニュアルと言える。
ここまでを整理すると、
DNA:遺伝情報を担う化学物質のこと。DNAでも片側鎖の塩基が全てG、もう一方の塩基が全てCになったものは、遺伝情報としては何も意味がない。ちょうど、「MMMMMMMMMMMMMM」が意味はなさないが文字列である、ということと同じである。
遺伝子:遺伝情報の中で、塩基配列がタンパク質を形作るアミノ酸の並び方の情報となっている部分。
ゲノム:遺伝子に加えてその調節を行う塩基配列すべてを含んだ、ある生物を成り立たせる情報全体。
ということである。
ゲノム上の配列は原則としてヒト(Homo sapiens)という種内ではほぼ同じであるが、様々な部分で異なっている。これが個性の大きな要因の一つである。この異なっている部分を比較すれば個人識別が可能なわけだが、31億もの塩基を全て比較するのでは時間も手間もそして費用もかかり、 なにより、そんなことをしていたら、 日野所長(斉藤暁)も早く帰ることができないし、昔なら小向光子(故深浦加奈子)には「予算オーバー」と叱られたりで、現実的ではない。
時間も費用も節約できる、簡便な個人の識別には、例えばCACACACA…、あるいはGATAGATAGATA…(ガタガタと読めるが別にふざけているわけではなく、実際に存在する配列)というように、2~数塩基がいくつも(数~100程度)繰り返されるShort Tandem Repeats(略してSTR)を用いる。こういったSTRの繰り返しの数は個人個人で異なっているため、この数(長さ)を比較することができれば良い。
STRはゲノム上に数多く存在する。
例えば
パターン1 14通り 他人同士がタマタマ合う確率=0.5%
パターン2 72通り 〃 =0.02%
と一つ一つでは偶然の一致が起こりうる可能性は決して低くない。今日では13の異なったSTRを組み合わせることで、全てが偶然に一致する確率は1000兆分の一以下にしている。世界の人口が70億人程度と考えれば、個人を特定できるには十分と言える。
【DNAを長さに従って分ける】
STRは個人個人で反復数が異なる。つまり長さが違う。DNAの断片を長さに従って分離するのを示したのが次の方法だ。
上述のようにDNAは陰イオンである。分離はこのDNAの物理的な性質を利用する。
①は寒天を固めたゲルである。水色はガラス板(またはチューブの断面)だと思ってもらいたい。このゲルの上端に分離したいDNAの溶液を置く。
② 試料が置かれたら寒天ゲルに通電をする。この時電極は下方に陽極(+)が来るように配置する。すると、陰イオンであるDNAは+方向に引っ張られることになる。
③ 寒天ゲルの構造を細かく見ると、アガロースという糖が縦横に繋がってつくられるミクロの網目になっている。DNAは電気的に下方(つまり+方向)に進みたいのだが、この網目が邪魔をするのである。このとき、大きなものと小さなものを比較すれば、当然小さいものの方が網目をすり抜けやすい。同じ時間では短いものほど先に(早く)下方に進むことになる。
④ 結果、一定時間を経過したところで止めると、大きさの順番(小さいほど下)に並ぶ。同一条件で長さが分かっているものを分離して比較すれば、試料のDNAの長さがわかる、というわけである。
この方法を電気泳動と呼ぶ。
次は、微細証拠であるDNAを鑑定可能な量に増やす方法を紹介しよう…と図を描いたところで、不備に気づいた。次回までに完成させる、ということで、この解説も前後編である。
【参考文献】
岡田薫 「DNA型鑑定による個人識別の歴史・現状・課題」 レファレンス 56, 7-31 (2006)
野島 博 「遺伝子工学の基礎」 東京化学同人 (1996)
中村祐輔 「遺伝子で診断する」 PHP新書009 (1996)
榊 佳之 「ヒトゲノム—解読から応用・人間理解へ—」 岩波新書728 (2001)
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