東京オリンピックのない2020年夏。
シンプルに、誰が想像したでしょうか。
前回のブログで、僕がコロナがなければ、最後の挑戦をすることなく目標を諦めるしかなかったというお話をしました。
プロになって4年、ビーチバレーを始めてからは、10年弱?バレーボールを始めてからは20年以上。今思えばとてもとても長い時間です。
何となく始めたバレーボールでしたが、ここまで長くやると、最後はどんな形で終えることができるだろうかと、いや、絶対にやっててよかったなと、そう思える形で終わりたいな、とは薄々ですが思っていました。
2019年は、僕は色々なペアと組み、五輪出場条件を満たすだけのポイントを個人的に獲得するために動きました。ということも前回のブログで伝えましたね。
そしてペアが見つからぬまま、2020年を迎えた訳です。
自分の20年のバレーボールに費やした時間の対価はこんなもんだったのか、、、
挑戦さえもさせてもらえないのか、、、
やはり自分にとっては大きすぎた目標だったのか、、、
勘違い野郎だったなぁ、、、
応援してくれた人に申し訳ないなぁ、、、
なんか他のこと頑張ればよかったかなぁ、、、
と、バレーボールをしてきたすべての時間、自分の選択、そういったものをすべて否定されたようなそんな気持ちに、、、、
不思議となりませんでした。笑
確かに残念だなぁと、悔しいなあと、思いました。
まぁそりゃ誰かと比べたりすればお前なんか全然頑張ってねぇだろとか思われたりすると思うんですけど、僕には「やってきた」自負があったんですね。
小学校の流しにもジフはありましたね。
これじゃないです。
これで綺麗さっぱり流しちゃいましょう、とかそういう意味でもないです。
冗談はさておき、僕は、やれるだけやって、自分の実力ではここで結果が出ただけだね、と受け入れ態勢ヒァウィゴーでした。(どゆこと?)
切なかったですけどね。
非常に、非常に。
見当違いの夢を見た10年だったんだなぁと。
と、そんなことしてる間にコロナが来て、オリンピックは延期になって、、、
ただ、ペアはいないけれど、自粛期間中もあきらめず粛々とトレーニングは続けていました。
今思うと、そのトレーニングや練習は、僕の基礎技術を底上げしました。
新しいものが見えたんですね。
とは言え一年ペア待ちでこのままやるのか辛いなぁと思っていたら、紆余曲折(深い)あり、今のペアが組んでくれることになりました。
一度、僕は地の底を見ました。
やってきた自負はあった、諦めはついていたとは言いつつも、ドアもない、暗くて寒くて狭い部屋に閉じ込められてしまったような感覚はそこに確かにあって、僕はそれを一度味わっているんですね。
それは僕の血となり肉となり、今では大きな武器になっていると感じています。
その上フリーになってとてもとてもハングリーです。
あなたの一点と、俺の一点は違いますよ。
あなたの一円と、俺の一円も。これは言わんでいいんか。
ちなみに今日は僕の33歳の誕生日です!
皆さんありがとうございます😊😊😊😊😊😊😊😊😊🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥
僕は人に助けてもらうことに恥ずかしさはありません!
むしろ困ったら助けてもらえる人柄を持ちたいです。
そして困った人がいたら助けます。
そういうことです。