ある目的のためだけに作られ、ストイックに追求されたモノ、コトに感動します、そしてかっこいいと思います。
例えるなら、F-1のマシンのような、機能を追求したら、こういう形になったよね、みたいなモノですね。
無駄のないモノからは、知性を感じ、美しさを感じます。
そこで思い浮かぶワードが、「品」。
僕はおそらく、無駄が省かれ、効率化され、最適化されたモノ、コト、人の行動、動きに品を感じます。
そこで今日は、「品」について考えてみたいと思います。
#清水大学
「品」の意味をネットで調べました。
人や物にそなわっている、好ましい品格・品質。
よくわかりませんね。(わざわざ書いた意味)
僕が考える定義は先ほど述べましたね。
品は、生活にも表れるし、プレーにも表れると思っています。
バレーが上手な人の動きは、一切の無駄がなく、ぼくは「品」を感じます。
そろそろ品がゲシュタルト崩壊してきましたね?
品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品
スペースインベーダーみたいですね。(歳がバレる)
無駄な会話でした。
品のないブログです。
少し話はずれますが、僕は、普段の生活態度が、コートでも出る、と言われてバレーを教わってきました。
小学生の時に言われても「?」でしたし、関係ないじゃんって思っていたけど、32歳になって、その意味がよくわかります。(歳言うんかい)
今は僕の感覚の中で、生活を整えることで仕事の成果が上がるという感覚が確かにあります。
生活を効率化することで、仕事の効率や生産性も間違いなく上がります。
とは言え僕は甘やかされて育ったので、とにかく雑です。
死ななきゃいいだろと思っている節があります。
部屋が散らかっていたって死にはしないけれど、確実にストレスを溜めるのは自分ですし、モノが見つからなくて無駄な時間を過ごしているのも自分です。
そんなことが分かり始めて頑張ってはいるのですが、僕より育ちの良い妻からすると、まだまだ僕の生活レベルは地を這うような低さのようです、反省。
と、そんな雑さは自分に染み付いているものですから、コートでもそんな振る舞いになるのは間違い無くある、というのが僕の考えになりました。
だからこそ、僕は品のある人になりたいと考えるようになりました。
小学生の時なんであんなに靴を揃えろと言われたのか、服を畳めと言われたのか、どうせ洗う旅館のシーツをピシッと畳んでそこを後にしたのか。
32歳になってやっとわかります。
(9月5日に33歳になります。)
ただね、品のない人をダメだと言ってるわけではないですよ。
その人の生き方がありますから。
ただ、人を不快にするような品のなさは、僕は好きではありませんが。
僕が品のない行動をしていたら、迷わず突っ込んでください。
あ、あと、何回も言いますが、9月5日で33歳になります。
何回も言わせないでください。
そして僕が何か言いたいかは、自分で考えてください。
#品がねぇな
#そんでタイトルも無駄多いな
#言葉遣いも気を付けろな