なぜなら、僕たちを取り巻く環境は信じられないスピードで変化しているからです。
iPhoneが初めて発表されたのが、2007年。
10年前、こんなうっすい小さいものを電車でほぼ全員が見つめている時代を想像できたでしょうか。
モノが環境を変え、環境が人を変えていきます。
生まれた時にスマホがあった世代と、まだEメール問い合わせしてドキドキして、電池カバーの見えないところにプリクラ貼って、記念日に来た恋人からのメールを「保護」していた世代では、感覚が違うのは当たり前です。
そして、時代は若者が作っていきます。
合わせるのは、間違いなく僕たちの方です。
だからこそ、常に考え方は改めていかなければ、本当の意味では生きていけません。
iPhoneのOSはアップデートするのに、なぜ僕たちはただ立ち止まって、同じ感覚で語り、行動してしまうのでしょうか。
自分が信じてきたもの、教え、感覚、正義、それらをひっくり返すことは、自分の存在価値を考え直すことでもある気がします。
だからこそ人は過去に執着するのだと思います。
時代が変われば、すべてが変わります。
極論ですが、人を殺して讃えられた時代もあったでしょう。
その時代を生きた人はそれを疑うことがないかもしれません。
ただ、今は情報が溢れています。
その気になれば無限の情報を拾うことができます。
自分を俯瞰し、正しい道を歩むには、たくさんの情報を得て、たくさんのことを知る必要があるでしょう。
ただ、僕たちが正しく有益な情報にたどり着くには、教養が必要です。
人は自分の知っている文字や情報の中でしか検索をできないからです。
僕たちが触れているインターネットからは実は新しい情報は入ってきていなくて、自分の知っている言葉で検索をしている以上は、その範囲の中の情報しか仕入れることができません。
勝手に流れてくる情報も、僕たちの趣味趣向に最適化されたものばかりです。
意識的に、新しい分野に足を踏み込まない限りは、もう昔のように学校で自動的になにかを教えてくれることはありません。
それが大人を取り巻く環境です。
なぜ興味のないこと、直接的に将来興味のないことまで勉強しなければならないのかと問われれば、言葉やその意味を知ることで、より良い情報にアクセスするためだと僕は答えます。
僕たちは常に正しく変化しなければならない。
そうでなければ間違いを起こす。
いや、正確に言えば、今起こしている間違いに気づかないのです。
正しい方向に変化するためには、教養をつけなければならない。
自分の知らない、「正しい」情報に辿り着くために。
閉ざされた環境は、気持ちがいい。
でもそれだけでは、成長できないどころか、間違いが起きます。
それは、重々理解しておかなければなりません。