誰の人生? | ビーチバレー 清水啓輔のブログ
努力したぶんだけ、それが全て成果になって欲しいのはあたりまえで。



でもそんな風に世の中はできていなくて。



だからこそ成果に価値があって。



そこはいいんだけれど。



でも、出た成果に関しては相応の対価がある社会であって欲しい。



スーパーマリオだって、1面をクリアすれば2面に行けるわけで、まぁ社会なんてそんなゲームみたいにはいかないけど、そうであって欲しいという願望はある。



次のステージに行ける人は、クリアしたかどうかではなくて、見てる人の評価で決めまーす。



という世界なら、僕はその見てる人の評価を基準に生きていくことになるわけです。



その状態というのは、僕が僕のやりたいことや願望を叶えるということに生きていなくて、他人の人生を生きていくことだと僕は思うのです。



僕は僕の人生を生きていきたいなと、理想ですが思います。



それは自分のためだけに生きるということではないです。



僕が誰かのために何かしたいと思えば、その行動は僕の人生です。



誰かの評価が欲しいと思ってそれをするならそれは他人の人生を生きることだと僕は思っているということです。



コントロールできるのは自分の事だけで、家族だとしても恋人だとしても、他人の事はコントロールできません。



いくら尽くしたって、急にフラれることだってあるでしょ。



だから僕は例えば誰かに何かをするとして、評価を上げたいとか、見返りを求めたりとか、そんなことは基本的にありません。形式的なことを除けば。



僕がその人にそれをしたいから、例えば僕がその人の喜ぶ顔が見たいから、それをするだけです。



たまにいる、恋人の顔色ばかり気にして、行動している人。



そんな人を見ると、そんな他人の人生生きて何が楽しいの?
と思います。





僕は僕の人生を生きる。



僕の基準の上を歩む。



それが理想の状態だと思っています。



もし自分の叶えたい一つの目標が、誰かの評価無しには実現できないとしたら、僕はその目標を間違いなくゴミ箱に捨てます。



目的を達成するための目標は、他にも色々あるから。



自分の人生の上を歩める目標を達成することに力を注いだ方がいい。



これは僕個人の想い。



今は僕に関わってくださる、力を注いでくださる方がたくさんいるので、その人たちの想いを考えながら、僕はやっていく必要があるなと感じています。



僕がやりたいようにやっていけるとは思っていないし、やりたいようにやりたいならまず最低条件としてもっと力をつけろということだとシンプルに思います。



そもそも力がなければ他人の人生生きるしかないよね。









今日も読んでくれて




サンキュー!!!