てんかん 「何で自分だけがこんなに辛いんだ?」 | てんかんと闘うスポーツ音楽好きしんちゃんのブログ

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僕はてんかん持ちで、今もてんかんと闘っています。同じてんかんと闘っている方と、辛さを共有できる「大切な仲間」として闘っていきたいです。※なお、明らかに業者、名前を売るための方、最低限のルール、マナーの無い人フォロー申請、コメント等承認しない場合もあります。

僕はてんかん持ちです。

発症して20年以上になった今も、てんかんと闘っています。

 

てんかん発作に苦しんでいる方は、きっとこんな思いをされたことがあるでしょうね。

「何で、自分だけがこんなに辛い思いしなきゃならないんだえーんえーん」と。

 

そして、「病気になりたくてなった人など、一人もいないはずなのにえーん」とも。

 

僕自身、発症してから、とにかく毎日発作は増えるばかり。薬も増やすばかりで、副作用で眠気、ふらつき、頭痛、吐き気等との闘いでもありました。

 

毎日、会社へは行くものの、先が見えない毎日に、上司が慰めてくれてて、それでも僕は溜息ばかりえーん

 

「このまま、ボロボロになって行くしかないんだろうなあえーんえーん」全く光なんか見えない闇の中で、とにかく生きてるだけ、みたいな生活でした。

それでも、徒歩も含めて自宅から片道40〜50分の経路を毎日通ってた、それだけでも恵まれてる方だったんです。

 

ふらつきながらも、会社まで電車に乗り、乗り換え、最寄りの駅から職場まで約10分間も、徒歩で通えていたんですから。

 

それでも、僕は、東京小平の国立精神神経センターの先生を紹介され、その精神科病棟に4ヶ月間入院した時のことです。

 

その時は、日本全国から集まってきた、重症の患者仲間ばかりでした。

それで、1時間に1人くらいは発作で倒れて、という驚くべき状況でした。

この時まで、発作というものが、どんな感じなのか、見たことありませんでしたから(当然ながら、発作中の自分を見ることなどできませんでしたから。)、ここで、初めて発作というものを見たんです。

 

その為に、頭を保護するヘッドギアを朝から晩までずっと付けてる人もいました。

 

また、ふだんはごく普通に会話してるのに、突然立ち上がって、歩き出していく、声をかけると返事をするんですが、しばらくするとふらつきながらも戻ってきます。そして、座らせるとしばらくすると、また会話に戻ります。

ところが、「今さっき、急に立ち上がって、歩き始めたんだよ。覚えてるの?」と聞くと、「えっ?そんなことしてた?全然覚えてないわ。」でした。

これが「自動症」だということも初めて知りましたガーン

(この方は、当時40代の女性ですが、同時期に入院していた同年代の男性と、退院後結婚して、子供さんをもうけたんです照れ退院後数年は、その旦那になった男性から、年賀状が着ていて、娘さんが生まれた話もそれで知ったんです。奥さんも、かなりの抗てんかん薬を飲んでいたはずですし、旦那もです。でも娘さんに悪い影響は全く出ていないということでした。)

 

さらに、半分以上の人は会話のキャッチボールができない方。入院して30年目なんて人もいたし、とにかく驚きの毎日でした。

しかし、なぜか、違和感なく自然にそういう仲間と、僕は自分から話しかけたりできたんです。

「かわいそう」みたいな感情が起こったことはなかったんですよ。

 

きっと、僕と同じように、てんかんで苦しんできてた「仲間」だと思えた「安心感」からでしょうね照れ照れ

知的障害を持った人もいたし、鬱病を持った人もいました。小学生くらいの子から、60代のお爺ちゃん、お婆ちゃんまで。

何を話してるか、わからない、わかりづらい人ばかりでしたが、それでも話しかけてる僕がいたのは、すごく不思議な感じでした。

 

それと、会話のキャッチボールができる人もいました。

その方達と、てんかんを持ったことで、ものすごい差別を受けたとか、仕事してたのがてんかんを理由に辞めさせられたとかガーン

僕は、その当時、差別や偏見は受けたこともありましたが、仕事は辞めさせられるようなことはなく、退院後も職場に戻るところが残ってる・・照れ

 

そんな、色々な仲間と話したり、症状を目の前で見て、ものすごい衝撃は受けました。

でも、周りのみんなは、全然暗くないんです。明るすぎるくらい、ニコニコもします。

そんな周りの仲間を見てからというもの、「自分は何をしてきたんだろう?症状も軽いし、差別や偏見は受けたけど、全然大したことないよ。しかも、職場に戻る場所がある、あまりに恵まれてるし、幸せなくらいだよ爆笑

素直に、こんな感じに思えたんですよね。

 

この入院での色々な経験で、僕に光がうっすらとですが見えたんです。

これが、僕の人生にとって、大きな転機になれたことは確かです。

 

実際は、退院後もまた発作はひどくなり、発作が出た時に車に引かれそうになったことも数えきれないほどで、徐々に「自分は恵まれてる」と思える余裕は無くなっていったんですが。

 

それでも、その2年後に脳外科手術を受ける覚悟をし、受けてからは、発症前の80%くらいまでの体調にまで戻れた笑い泣き爆笑

 

ただし、その反面、手術後に家族崩壊とかまだまだ辛いことが起こってしまいましたがえーん

 

「100人あるいは200人に1人いる」と言われているてんかん患者。

日本中なら、50万から100万人以上もいるはずなのに、最初の入院までは、僕の近くにてんかん持ちの方がいたことはありません。

手術入院も含めた2度の入院で、その後も今も友達でいるのは1人いますが、新たに友達になったてんかん持ちの方はいませんでした。

(このアメブロで知り合った方は、仲間であり、友達だと思ってます照れ

 

それでも、このブログを始める前から、「何で自分だけがこんなに辛い思いをしなきゃいけないんだ!えーん」とは思わなくなりました。

 

それは、同じようにてんかんで辛い思いをしてる仲間と時間を共有したからだとつくづく思います。

 

ですから、近くにてんかん持ちの人がいない、会ったこともない、という方でも、こういうアメーバのような場で辛さを共有できれば、少しずつでも光が見えてくる、そう思います照れ

 

今回、実は不可解な出来事もあり、このブログを止めようかとも思いました。

以前に、同じてんかん持ちの人で、ここでやりとりしてた人から中傷されるという、酷いことを受けたこともあり、今回の不可解な出来事にショックを受けたからです。

 

そんな中でも、僕に声をかけてくれる方もいて、ここでやめるべきではないと思い直した次第です照れ

 

そんなわけで、長々となってしまいましたが、これからも頑張って続けていきますね。

僕も決して強い人間ではないので、こんなこともあります。

ちょっとばかり頼りないですが、これからもよろしくお願いしますね爆笑爆笑