小倉城訪問レポートその2
では、天守の中に入ります。
天守内出入口には立派な虎の絵が2枚ありました。
上が入口にある迎え虎、下が出口にある送り虎というそうです。
幕末の第二次長州征伐で小倉城は焼失してしまいましたがその慶応2年(1866)年が寅年だったので、ということだそうです。
城の終焉の年に因んだ虎というのもなんだか、ですね。
当時の小倉城天守の模型
忠興は当代一流の茶人であり文化人でもあった「二刀流」の武将でした。
その忠興の美意識が現れた個性的な天守といえます。
津山城や高松城の天守もこの小倉城天守をモデルにしたものといわれています。
復興にあたっては、当初は史実通り破風がない天守が計画されましたが、飾りがない天守では観光用にインパクトがないという理由によって、現在のように千鳥破風や唐破風などが追加されることになりました。
模型を見る限り、破風がなくてもスタイリッシュな感じがします。
天守の高さ比較
再建天守も含めて、28.7mと国内では6番目の高さ(石垣から上)を誇ります。
1階床面積は209.25坪となんと熊本城や姫路城を凌ぐ広さです。
最上階から東
当時は藩主の下屋敷があったところに小倉城庭園が復元されています。
天守を出て、北側の大手門方面へ向かいます。
大手門跡
小倉城の正門となる立派な玄関口です。
左右の巨石に圧倒されます。
古絵図によると、この大手門付近の石垣の上には土塀ではなく多聞櫓があったようです。
大手先門
当時小倉城に入るにはこの大手先門を通ったあとに、大手門から入城していました。
(今回は搦手口にあたる西の口門から入城しています。)
大手先門の向こうに見える建物は北九州市役所です。あとで市役所の展望室に登ってみます。
小倉城庭園
小笠原忠苗の時期に城内下屋敷内に泉水を持つ回遊式庭園がつくられました。現在の庭園は復元されたものです。小倉城との共通券で入場できますが、時間がなかったので、中には入りませんでした。
大天守
大手先門を超えると小倉城一の撮影スポットがあります。
忠興の築いた天守台は熊本城などの扇の勾配と異なり、直線的な石垣が特徴的です。
小倉祖霊殿
再び北の丸北側の内堀越しに天守を眺めます。この建物はいかにもお城の櫓っぽいですが、北の丸に鎮座する八坂神社の祖霊殿という建物です。
八坂神社山門
市役所から
北九州市役所の展望室から小倉城を見下ろします。意外と地元に人にも知られていない穴場スポットかもしれません。
常盤橋
わかりずらいですが、紫川の一番向こうにかかる木の橋です。
常盤橋は、細川時代に紫川の東側の東曲輪と西曲輪とを結ぶ橋として架けられました。江戸時代、小倉から九州各地にのびる「長崎街道」「中津街道」「秋月街道」「唐津街道」「門司往還」の5つの街道のすべてがこの橋につながっていたことから、「九州の日本橋~すべての道は小倉に通じる」と先日ブラタモリでも紹介されていましたね。平成7年に木造の橋に作り替えられました。
ライトアップ
今回は前日の夜に小倉入りしました。ライトアップされた天守がとても美しい。