名古屋城西の丸御蔵城宝館 | おおとり駆の城日記

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名古屋城西の丸に「西の丸御蔵城宝館(おくらじょうほうかん)」がプレオープンしました。


この展示館は現在入館が禁止されている大天守内にあった展示物の代替スペースとして新たに建築されたものです。


江戸時代、この西の丸には米蔵が立ち並んでおり、この外観も米蔵をモチーフとしたデザインとなっています。



「歴史情報ルーム」では名古屋城や尾張藩の歴史を築城期、江戸期、明治維新以降の3つの時代ごとの出来事をパネルで紹介するコーナーや、金シャチや石垣の素材の展示、クイズなど子供が楽しめる内容になっています。


「展示室」ではプレオープンの記念企画「鯱展」が開催されていました。

正門 銅鯱
現在の名古屋城の正門がある位置にはもともと榎多御門と呼ばれる西の丸の門がありましたが、明治24年(1891年)の濃尾大地震で大破し、明治43 年(1910)に江戸城二の丸にあった蓮池御門があらたに当時離宮であった名古屋城の正門として移築されました。
その正門も昭和20年(1945年)の空襲で焼失してしまいましたが、鯱は胴体の大半を失いつつも焼失を免れ、城内で保管されてきました。

なお、現在の正門は昭和34年(1959年)に天守とともに、ほぼ昔通りの外観で再建されたものです。
江戸時代にはなかった門ですが、今となっては御三家の城の正門らしい堂々たる櫓門です。

表一之門 銅鯱 
これも正門の鯱と同時期に名古屋城に移管された旧江戸城の銅鯱です。
表一之門も戦災で焼失し、この鯱は焼け残ったものの内部には焼け焦げた木材が残っています。戦災の被害を今に伝える貴重な資料です。

東北隅櫓 銅鯱
この鯱は空襲によって、魚の開きのように右半身と左半身が分かれてしまいました。

名古屋城本丸にはかつて、東南、西南、東北との3つの隅櫓がありましたが、このうち東北隅櫓は天守とともに戦災で焼失しています。

大天守金鯱の鱗
戦後焼け跡から拾い集められた大天守金鯱の鱗です。熱で変形してしまって鱗の形がわかりません。
太平洋戦争で空襲が激しくなったことに伴い、金鯱を疎開させるために地上へ降ろす作業の途中でしたが、1945年(昭和20年)5月14日の名古屋空襲で焼夷弾の直撃を受けて、大天守、本丸御殿とともに焼失してしまいました。

純金茶釜(丸八文様鯱環付真形釜) 
空襲の猛火により初代の金鯱は溶解し金の塊となり、戦後進駐軍に接収されました。
昭和42年(1967年)に金塊は名古屋市に返還され、名古屋市の紋である丸八紋のついた純金の茶釜に生まれ変わりました。

名古屋城西の丸御蔵城宝館の本格オープンは秋に予定されています


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