5月のカレンダー(忍城) | おおとり駆の城日記

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子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

新しい時代・令和の幕開け、5月になりました。これから爽やかな季節ですね。
今月のカレンダーは埼玉県行田市の忍(おし)城です。


忍城といえば、映画にもなった「のぼうの城」の舞台として有名です。
また、昨年話題となったドラマ「陸王」のロケ地としても使われていましたね。
簡単に忍城の歴史をご紹介します

室町時代中期の文明年間に成田氏によって築城されたと伝えられており、北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在する広大な沼地と自然堤防を生かした構造となっています。要害堅固な城であったことから戦国時代には関東七名城の一つに数えられ、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴う攻城戦の際には豊臣方の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城または亀城と称されます。江戸時代に入ると忍藩の藩庁あるいは徳川氏の譜代大名や親藩の居城となり、阿部氏の時代には御三階櫓が新たに建設されるなどの改修や城下町の整備が行われました。1871年(明治4年)の廃藩置県と同時に廃城となり、土塁の一部を残して取り壊されましたが、現在、本丸跡には御三階櫓が再建され、
水堀や沼地の一部は水城公園として整備されています。 

さて、「のぼうの城」ですが、秀吉の小田原攻めの際、石田三成が行った
水攻めによる忍城攻防戦をメインに描かれます。
三成率いる豊臣勢は2万人、それに対して守る成田勢は農民らを含めても3千強。忍城の総大将は領主・成田氏一族で城代の成田長親。武勇も智謀もありませんが、領民からは「でくのぼう」→「のぼう様」と呼ばれ、誰からも親しまれる殿様でした。映画では野村萬斎さんが演じましたね。

地の利と士気の高さから、緒戦は忍城側の圧勝。手こずった三成は、主君秀吉の備中高松城攻城戦法にならい、水攻めを発案。現在もその一部が残る石田堤を28kmにわたって築き、近くを流れる利根川の水を引き込み、忍城と城下を水に沈めます。
この水攻めに対し、長親は、城を囲む湖に船を出して、敵兵の前で大胆にも田楽踊りを披露します。踊っている長親は狙撃されますが、辛くも一命を取り留めます。
その後、城に入らず城外で堤作りに雇われていた百姓らも長親が撃たれたことの怒りから石田堤を壊す者が現れ、逆に三成側の将兵が溺死し、水攻めは失敗します。
結局、忍城は小田原城開城後も支城としてはただ一つ落城せず、最後まで持ちこたえます。

映画では兵たちが水に飲み込まれるシーンが東日本大震災の津波を連想させると問題視されましたが、リアルなシーンをカットする形で公開されました。


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