おはようございます。
家系図コーチング®︎山道紀子です。
昨日は勉強と仕事で頭を使って疲れたので、
休憩に近所のハイキングコースに入ってきました
やっぱり自然の中に入ると癒されますね。
私は家系図やコーチングなどで
感性を使う仕事をしていくには、
とてもとてもコンクリートジャングルのような
都内では生きていけないと思ったりしていました💦
20代の頃、都内に住んだ経験から、
自然豊かな場所のありがたさを感じる日々です。
さて、昨日は、戦前に多かった
(戦後も少なくなりつつも続いていた)
結婚の形について書きました。
こちらです🌟
この記事を読んでくださった、
カウンセラーの佐藤茂則先生からメッセージをいただきました!
佐藤先生には一般社団法人人間力大学校で
大変お世話になりまして、
『人間力家系カウンセラー』の
学びをさせていただきました。
🌟佐藤茂則先生のサイト
🌟佐藤茂則先生のブログ
昨日書いたような結婚の形、戦後も数は減りつつも
続いていたようで、
佐藤先生からの情報ではなんと昭和50年頃まで
残っていたそうです。
いろんな思いをしながら結婚というものが
成り立って行ったんですね~。
で、この結婚のことを
足入れ婚 (あしいれこん)
樽入れ婚 (たるいれこん)
と呼んでいたようです。
調べてみると、出てきました。
足入れ婚
正式の婚姻成立祝いを待たずして,
仮の儀礼ののち女性が夫の家族に
入る婚姻居住形態をいう。
地方によってはこれをカドイレ,シキマタギなどと呼ぶ。
農家の結婚式は農閑期の冬に行われるのが
一般的であったが,労働力としての必要上,
冬まで待てないようなときに足入れ婚が行われた。
また嫁が夫方に試験的に同居しながら適応性を
はかるために行う形態もあった。
これとは別に,
民俗学者大間知篤三は伊豆諸島の事例をもとにして,
結婚成立祝いを夫方で行いながらも,
結婚当初は妻方で生活する婚姻形態を足入れ婚と呼んで,
婿入り婚から嫁入り婚へと変遷したという
日本の婚姻変遷の中間に位置づけた。
しかしその場合は婚姻居住形態からすれば婿入り婚の一種である。
~ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「足入れ婚」の解説~
ということで、家系図を見ていると、
時に、女性の悲しみを受け取ることがあります。
子供を授かる能力がなければ、
実家に帰されてしまった。
今回は、足入れ婚を例にとって書いているので、
入籍していなければ、
その足跡は戸籍には残らずわからないのですが、
足入れ婚ではなく、入籍してしまってから、
2-3年で実家に帰っている女性も
めずらしくなく、やはりその夫婦には、
子供がいなかった・・・ということを確認することも
少なくありません。
結婚に於いて、昔は今よりも、
男性の方がどうも権力的に優位になっており、
いかに家系を絶やさないか、
家系を発展させていけるか、という点に
重きが置かれており、それに反するような
流れには、女性は従うしかなかった・・・
というケースをよく見かけます。
いろんな思いをされたご先祖様がいた。
命を繋いでくれた直系先祖以外にも、
自分の家系に関わったたくさんの人がいた。
大変な思いをしたご先祖様、本当にお疲れさまでした。
どうか少しでもその魂が癒されますように🌟
今日もお読みいただきましてありがとうございました。
どうぞ素敵な1日をお過ごしください
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