若宮八幡社…中区栄3-35-30 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日

私「洋ちゃん」通学中の鯱城学園からの帰途

名古屋鎮守守として著名な

「若宮八幡社」(中区栄3-35-30)立ち寄り

デジカメしてきました。

 

実は、若宮八幡社には何度も参拝に赴いています。

(付記)

若宮八幡社に行く(中区栄三丁目)

 

若宮八幡社について…以前にブログした内容と一部重複しています

↓ネットより引用

創建年 伝701-704年(飛鳥時代後期)
旧社格・等級等 県社・三等級・別表神社・名古屋総鎮守
祭神 仁徳天皇(にんとくてんのう)
應神天皇(おうじんてんのう)
武内宿禰命(たけうちのすくね)

例祭  5月16日

 

↓名古屋市中区史跡散策路より引用

もとは那古野庄の今市場という地(のちに名古屋城内になる)にあった。

慶長の名古屋城築城のときに現在地へ移された。

城下名古屋の総鎮守として親しまれた。

名古屋三大祭りのひとつに数えられる例祭(若宮まつり:5月15日、16日)は、

神輿、山車を曳き出し華麗でだったが、戦災でほとんどの山車が焼失し、

現在は福禄寿山車(市指定文化財)を残すだけ。

 

↓別の資料より

名古屋市街を東西に貫く100m道路である「若宮大通」の名は、この若宮八幡社

から採っている。

若宮八幡宮」とも呼ばれる。

旧社格は県社で。神社本庁が包括する神社でもある。
祭神:仁徳天皇、応神天皇、武内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)

 

大宝年間(701 ~704年)に現在の名古屋城三の丸の地に創建されたとも伝わり、

延喜年間(901~923年)に再興されたという。

天文8年(1540年)織田信秀により再建され、慶長15年(1610年の名古屋城築城

の際に現在地に遷座した。

江戸時代は尾張徳川家の氏神であり名古屋の総鎮守であると崇敬され、元禄 2年(1689年)

には尾張藩 藩主徳川光友 より社領100石が寄せられると共に社殿の造営がなされた。

江戸時代では、例祭である若宮祭は名古屋東照宮の東照宮祭、天王社(那古野神社)の天王祭

とならんで名古屋三大祭とされる。

 

👅デジカメ

↓手水舎

↓本殿前にあります旧町名を記された石碑

↓境内にあり

福禄寿山収蔵庫

↓摂社

↓天神社

👇北側にある鳥居

 

👇尾張名所図会より

↓若宮八幡宮

↓若宮八幡宮(白黒の尾張名所図会をイメージ着色)

八世紀初頭に名古屋城三の丸の地に創建されたと伝わる。

天王社(現在の那古野神社)に隣接していた。

慶長15年(1610)に名古屋城築城のため現在地に移転。

例祭である若宮祭は名古屋東照宮の東照宮祭、天王社の天王祭とならんで名古屋三大祭と言われた。

 

👇尾府全図の一部…ネットより引用

 
(日めくりより)

今日(10日)の言葉

『楽は苦の種、苦は楽の種』 

 👅 

楽をすると、あとで苦を味わわなくてはならないし、苦を忍べばあとで楽ができる。 

今の苦労は、将来の楽につながるのだから耐え忍ばなければいけないということ。

 👅

いま苦労するのは、後日の安楽のために種をまいておくようなものだ、という意。

現在の苦労は、将来の幸福のもとになる。

 

(23,633歩)

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2024年2月13日に追記します。

☟2月9日付け中日新聞・朝刊・市民版よりスキャン

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2024年5月15日に追記。