名古屋で最初の水族館と龍宮門…港区 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(11月18日)

私「洋ちゃん」通学中の鯱城学園の社会奉仕「堀川の清掃」で、

私のクラスは堀川の突端の東側を担当しました。

 

その途中、

東築地小学校北側歩道上、

港区役所設置の「名古屋教育水族館と龍宮門」の銘板を見つけデジカメ。

👅場所

👇後が東築地小学校

東築地小学校

👇「名古屋教育水族館と龍宮門」の銘板

👅部分ごとに拡大

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現在の竜宮町という地名は再建前の名古屋教育水族館にあった竜宮門が由来となりました。

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明治43年、守口漬考案者の実業家山田才吉によって、現在の港区竜宮町付近に名古屋教育水族館がつくられました。

水族館の敷地内には魚類だけでなく、クジャクやワニ、サルをはじめ、当時では珍しい水牛やアシカなど1,200種類の展示がありました。

水族館は年間15万人が訪れる人気スポットとなりましたが、大正元年の台風と高潮により倒壊してしまいました。

才吉は大正9年、料理旅館「南陽館」のあった現在の東築地小学校付近に水族館を再建。

新しい観光地として人気を集めました。

その後、名古屋港は貿易港として発展し、埋め立てが進み海水浴場が閉鎖されるなど水族館を取り巻く環境は大きく変化しました。

その結果、名古屋教育水族館は存続が難しくなり、昭和10年に閉館となりました。

 

(注)

『山田才吉』の功績等については後日ブログさせて頂きます。

 

(日めくりより)

今日(11日)の言葉

『我が身を立てんとせばまず人を立てよ』 

 👅 

自分の身を立てたいと望むなら、まず人を引き立てるように心がけよということ。

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自分の望みを叶えたい思うなら、まず人に譲るようにしなさいという教え。

 

(20,739歩)