先日、
浦里公園(緑区浦里一丁目)園地内に建つ
雉本朗造(きじもと ときぞう)の銅像をデジカメ。
雉本朗造(きじもと ときぞう)について
↓Wikipediaより
明治9年(1876)~大正11年(1922)
愛知郡鳴海町笠寺鳴尾に生まれる。
明治36年東京帝大法科大学独法科を卒業、銀時計を授与されるほどの秀才だった。
日本の民事訴訟法学の基礎をきずいた人物。
雉本朗造は、大正時代にこの地に起きた「鳴海小作争議」において小作人の側に立って小作人を裁判で支援した人です。
鳴海小作争議は大正6年に起こり、大正12年に解決しましたが、雉本朗造は、その1年前に謎の死を遂げました。
争議に関わった小作人たちが、雉本朗造の死を偲んで、
昭和5年にこの銅像を建立しました。(石堀山)そして昭和48年現在の浦里公園に移されたそうです。
デジカメ
👇銅像拡大
(付記)
「鳴海小作争議」について
↓この書物よりスキャン
(付記)
👅浦里公園園地内にありました
(日めくりより)
今日(21日)の言葉
『敵に塩を送る』
👅
「争っている相手が苦しんでいるときに、争いの本質ではない分野について援助を与える」の意味
👅
※《戦国時代、上杉謙信が、敵将武田信玄の領国の甲斐が塩の不足に苦しんでいるのを知り、塩を送らせた故事から》
敵の弱みにつけこまず、逆にその苦境から救う。
(22,708歩)