早朝散歩の通りすがりに、
東区主税町4丁目72-1にあります、
名古屋城下に当時の位置のまま残る、
唯一の武家屋敷門「主税町長屋門」をデジカメ。
主税町長屋門について(パンフレットより引用)
長屋門とは、屋敷に設けられた門の一種。
当時、武士の身分は厳格に定められており、身分に応じた門を構えた。
(尾張藩では百石から一万石未満の武士が構えたものと考えられる)
主税町長屋門は、
町奉行を勤めた、元禄年間には平岩家、幕末には室賀家の屋敷となっていた。
明治以降は軍の第三師団長の官舎として利用されていた。
大正時代からは民家となり、
・昭和22年頃からは佐藤家の屋敷となり、
・昭和48年からは「ちからまち会館」に、
平成14年2月に住宅公団が取得⇒現在に至る
- ネットより引用
- 所有者 UR都市機構
- 管理者(株)中部新都市サービス
- 名古屋城下に当時の位置のまま残る 唯一の武家屋敷長屋門です。
- 長屋門とは、屋敷に設けられた門の一種で、長屋の一部を門とした形式の建築物です。
- 当時、武士の身分は厳格に定められ、彼らは身分に準じた門を構えていました。
- 長屋門形式の門は、尾張藩では百石から一万石未満の武士が構えたものと考えられています。
- 名古屋市の白壁、主税、橦木地区は、江戸時代に中級武士の屋敷が配置された場所であり、 当時は長屋門、棟門に長屋を付属させた門構えが連なり、町並みを形成していたと思われます。
主税町長屋門
👇表側から
☟大扉(屋敷の主人や各上の客が公式に出入りするための扉)片側に潜り戸が設置され、
出格子付番所(門番の部屋)が設けられている。
👇裏側から
👇資料よりスキャン
👇
名古屋市認定地域建造物資産に認定した各建造物
認定年月日 平成23年10月17日
年代 江戸期
構造 木造
特徴
江戸期のもので、当時の位置に残る名古屋城下の武家屋敷の長屋門として貴重である。
この門に付している出格子付番所(武者窓)は、武家屋敷のみに設けることが許されたものと言われている。
(特記)
主税町長屋門について
としてブログしました。
(日めくりより)
今日(11日)の言葉
『後世、おそるべし』
👅
若い者は、将来、どこまで伸びていくかわからないほどの可能性に満ちているということ。
👅
後進のものは、努力次第で今後どんな人物に成長するかわからないので、おそれ敬うべきである。
(21,032歩)