東区旧町名「東矢場町」の町名の由来… 現在は筒井三丁目に編入され廃止 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

東区東矢場町自治会近辺へ早朝散歩で赴く。

 

 

帰宅後、

東区旧町名「東矢場町」の町名の由来について調べました。

※現在は筒井三丁目に編入され消滅

 

↓(上)私、所有の昭和35年名古屋市地図をスキャン:(下)町区分

↓現在の地図

 

東区旧町名「東矢場町」の町名の由来について

↓ひがし見聞録より(183ページより引用)

明治9年に定められた町名。

もと弓術の稽古場である矢場があったことに由来する。

この矢場は、通し矢で知られる三十三間堂をまねて、1657年(明暦3年)に造られたという。

城下の南にも矢場(現:中区)があったので、ここを東矢場町とよんでいた。

↓参考…名古屋の史跡と文化財よりスキャン

↓Wikipediaより

・当地において1656年(寛文2年)、尾張二代藩主徳川光友が星野勘左衛門のために

  三十三間堂に似せた弓道場を作ったことに由来する。

・名古屋には既に矢場町(現:中区)があったため、東矢場町と呼ばれた。

沿革

・明治初年 -愛知郡東矢場町となる。

・1878年(明治11年)

  11月 - 名古屋区東矢場町となる。

  12月 - 北芝前小路・南芝前小路を併合する。

・1889年(明治22年)10月 名古屋市成立に伴い、同市東矢場町とな

・1908年(明治41年)4月-東区成立に伴い、同区東矢場町となる。

1981年(昭和56年)- 筒井三丁目に編入され廃止される。

 

↓東区誌より

 

(特記)

にタイトル

東区石神本町、東矢場町、池内本町、赤萩町の町名の由来

としてブログしました。

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