東区石神本町、東矢場町、池内本町、赤萩町の町名の由来 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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東区、

桜通り赤萩交差点の東北角にあります「物部神社」の北あたりの地域は、

現在は昭和56年住居表示により「筒井三丁目」されています。
  

     桜通り赤萩交差点…右の森の部分が「物部神社」

物部神社について

2016年1月8日にタイトル

物部神社で参拝…東区筒井三丁目 」

としてブログしました。

こちらをご覧ください。

このあたりの以前の町名であった

 石神本町、

 東矢場町、

 池内本町、

 赤萩町、

の町名の由来について調べました。


石神本町について

愛知郡千種村北裏が大正10年(1921)名古屋市に編入され、昭和10年(1935)石神様(物部神社)の名をとって石神本町とした。


 

東矢場町について 

・もと指矢場があったところで、明暦3年(1657)に京の三十三間堂をまねてつくられたもの

 といわれる。

・城下の南にも矢場があった(現在の中区矢場町)ところから、東矢場といわれた。

・現在の町名は明治9年(1876)に定められたものである。
      


池内本町について

・明治初年愛知郡千種村字池内(いけのうち)といっていた。

・千種村は明治35年(1902)に千種町となり、大正10年(1921)に東区に編入された。

・昭和12年(1937)千種区が成立したとき、千種町は東区から分かれたが、池内はその

 まま東区内に残り、字名であった池内が町名となった。

 

赤萩町について

・昭和6年(1931年)についた町名。

・大正10年から昭和15年までは、東区千種町の一部で、町名は字名による。

・江戸期は「あかはげ」とも呼ばれ「はけ」は崖を意味するという説と、

 その昔この辺り一帯には赤むらさきの美しい萩の花が咲いていたという説がある。

   

 (注)石神堂…現在「物部神社」
 
 
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