東区にある旧町名「水筒先町」の町名の由来 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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今朝、

東区水筒先町自治会近辺へ早朝散歩で赴く。

 

 

帰宅後、

東区旧町名「水筒先町」の町名の由来について調べました。

↓ネットWikipediaより

1981年(昭和56年)に町域全域において住居表示が実施され、現存しない。

建中寺境内の堀から取った水(湧き出る清水)を流す樋が南北方向に引かれていた道筋の町であったことからこの名が付く。

 

↓ひがし見聞録よりもう少し詳しく

江戸期以来の町名。

車道筋の西にある南北の通りである。

建中寺の堀から湧き出る清水が、門前の西端から南に向かって緩やかに屈折しながら、御下屋敷を回って南方へと流れていた。

その清水を渡すために、門前の道路の地下に樋が作ってあった。

この辺りがその先になることが町名の由来で、水塘先・水道先とも記されている。

享保13年(1728)国方支配から町方支配に移され、東側には手代・同心の屋敷が多くあった。

西側の北には七代藩主ゆかりの寺・尼寺の精林庵(無量寿院)や御薬園があり、その南は御下屋敷の添地となっていた。

 

↓東区史よりスキャン

 

↓私、所有の昭和35年名古屋市地図をスキャン

↓現在の地図

 

デジカメ

(特記)

水筒先町について、

水筒先町、筒井町

こちらも是非ご覧ください。

 

精林庵(無量寿院)について

無量寿院…東区代官町27-18(名古屋市教育委員会設置の標札巡り…東区№3)

こちらも是非ご覧ください。

 

御下屋敷について

御下屋敷跡…東区葵一丁目3-21(名古屋市教育委員会設置の標札巡り…東区№1)

こちらも是非ご覧ください。

↓ 江戸時代の地図による「御下屋敷(青の太枠の部分)

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↓ 現在の地図に重ねた「御下屋敷」の図

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