七里渡灯台跡…港区藤高三丁目22(喚応寺)(港区区名勝標札 №2) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、港区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています…№2

 

その一環で、

先日(1月28日)

「七里渡灯台跡」名勝標札をデジカメ

↓設置場所 港区藤高三丁目22(喚応寺)

↓七里の渡し

↓名古屋市教育委員会設置の名勝標札…№2

 

七里の渡しについて…ネットより引用

慶長6年(10601年)東海道に伝馬制が実施され、53次の宿駅の設置が始まり、

熱田(宮)宿と桑名宿の間は海路「七里の渡し」で通行することになった

 

元和2年(1616年)、東海道における唯一の海上路で「七里の渡し」が始まった。

七里の渡しは満潮時に陸地沿い航路が約7里(27㎞)で干潮時に沖廻り航路が約10里(39㎞)

 

七里の渡しの名称は、移動距離が7里であったことに由来する。

渡し船によって移動し、所要時間は約4時間であった。

「桑名の渡し」、「熱田の渡し」、「宮の渡し」、「間遠の渡し」などとも言った。

 

天候の悪化などにより、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つであった。

海上を避ける迂回路としては、脇往還の佐屋街道があった。

宮宿、桑名宿は渡船場として賑わい、旅籠屋数でそれぞれ東海道における1位と2位の規模を誇った。

現在でも七里の渡しに関する遺構を見ることができる。

 

デジカメ

↓喚応寺

 

(付記)

 

(特記)

港区区名勝標札 №1につては、

鬼頭景義・勘兵衛宅跡…港区春田野三丁目202(南陽神社北)(港区区名勝標札 №1)

 

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↓山田天満宮にて(北区大曾根)

↓境内にある「金神社」

↓境内にて