私「洋ちゃん」、名古屋市内にある
名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。
その一環で、
先日(10日)に、
「守山城跡」の名勝標札をデジカメ。
設置場所 守山区市場4−45
(付記)
守山城跡は、現在、守山区の宝勝寺と周辺の住宅地にあり、
この宝勝寺は、守山崩れで亡くなった人達を供養するために創建された。
↓名勝標札
デジカメ
↓高台に立つ碑
↓守山城跡の石碑
↓表面
↓裏面
守山城について
↓ネットより引用
・築城年代は定かではない。
・松平清康は尾張に侵攻するため守山城を築城しここに移ったが家臣阿部弥七郎によって殺された。
これを「守山崩れ」と言う。
※松平清康は徳川家康の祖父にあたる。
・城は織田信秀に属するようになったが桶狭間の合戦後廃城となった。
・現在は宝勝寺が建っており遺構はあまりとどめていないが奥の竹薮の中に掘が残る。
↓守山区史跡散策路より引用
東西58m、南北51mの一重堀の城で築城年、築城者とも不詳だが、那古野城が築かれた頃に築城。
大永6年(1526)宗長が訪れ、連歌を催している。その時の発句は「花にけふ、風を関守山路哉」。
この宗長の手記が「守山」や「守山城」の最初の記録である。
天文4年(1535)尾張攻略で守山城に布陣した松平清康が家臣に殺された「守山崩れ」の舞台である。
その後、織田信秀に属し、桶狭間の戦い以降は廃城になったという。
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宝勝寺
↓ネットより引用
曹洞宗で、山号は玉峯山。
創建は1650年(慶安3年)諸説あり。
1637年(寛永14年)に大永寺七世大渓良澤和尚が、清康の菩提を弔うために建立。
その縁により、大永寺の末寺となっている。
↓守山区史跡散策路より引用
本尊は観世音菩薩。
寛永14年(1637)松平清康の霊を弔うために守山城跡に建てられた。
清康の位牌を安置している。
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(特記)
(昨日)タイトル「小幡城跡…守山区西城二丁目16」
(追記)
守山区内に設置の名勝標札について
「小幡城跡」の名勝標札…守山区西城二丁目16(守山区名勝標札 №7)
「小幡茶臼山古墳」の名勝標札…守山区緑ヶ丘1001(守山区名勝標札 №6)
「守山白山古墳」の名勝標札…守山区市場16-35(白山神社)(守山区名勝標札 №5)
「牛牧遺跡」の名勝標札…守山区牛牧字中山1632-1(守山区名勝標札 №4)
「守山瓢箪山古墳」の名勝標札…守山区西島町4(守山区名勝標札 №3)
「長慶寺」の名勝標札…守山区小幡中2-24-45(守山区名勝標札 №2)
「小幡長塚古墳」の名勝標札…守山区小幡四丁目12番52号(守山区名勝標札 №1)