「小幡城跡」の名勝標札…守山区西城二丁目16(守山区名勝標札 №7) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、守山区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日(2日)に、

「小幡城跡」名勝標札をデジカメ

設置場所 守山区西城二丁目16

     ※西城小学校の東にある高台に設置。

↓名勝標札

 

小幡城について城址は現在は宅地化され、遺構はなし。

↓資料より

大永2年(1522年)岡田重篤によって築かれ

 東西約二〇〇メートル、南北約七〇メートルであった。

 岡田氏はその後星崎城を築き移る。

・そして天文4年(1535)家康の祖父 岡崎城主・松平清康は、

 織田信秀を討つ為に尾張へ攻め入り、小幡城に入城するがこの地で家臣の阿部弥七郎に殺される。

・その後、小幡城は織田信秀の弟・信光の居城となり、

 弘治元年(1555)信光も那古野城中で不慮のしを遂げ、小幡城は一時廃城となるが、

天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦で、

 徳川家康は池田恒興・森長可の羽柴方別働隊を長久手で破った後、

 直ぐに兵をまとめてこの城に入城し、この城を修築し本多広孝に守備させた。

・そのため救援に駆けつけた秀吉は、龍泉寺城(守山区)に入城。

 家康との合戦に備え、掘・土塁を築き、防備を厚くしていたら、家康は小牧山へ素早く移動。

 秀吉も楽田の本陣へ戻りました。

・小牧長久手合戦後、小幡城は秀吉によって焼かれ、

 その後は城主も置かれずに荒れ果て再び廃城となった。

↓守山区史跡散策路よりスキャン

デジカメ

↓標札は高台にあり道路の突き当りから西方向(守山城方向)

↓道路の突き当りから北西方向

(付記)

南区星崎にある名古屋市教育委員会設置「星崎城」の名勝標札

 

(特記)

小幡城跡

 

(追記)

守山区内に設置の名勝標札について

「小幡茶臼山古墳」の名勝標札…守山区緑ヶ丘1001(守山区名勝標札 №6)

「守山白山古墳」の名勝標札…守山区市場16-35(白山神社)(守山区名勝標札 №5)

「牛牧遺跡」の名勝標札…守山区牛牧字中山1632-1(守山区名勝標札 №4)

「守山瓢箪山古墳」の名勝標札…守山区西島町4(守山区名勝標札 №3)

「長慶寺」の名勝標札…守山区小幡中2-24-45(守山区名勝標札 №2)

「小幡長塚古墳」の名勝標札…守山区小幡四丁目12番52号(守山区名勝標札 №1)