東区古出来(町)・出来町・新出来(町)の町名の由来:古出来・出来町南・新出来・新出来西公園 | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

東区古出来(町)・出来町・新出来(町)の町名の由来について調べる。

 

◎東区古出来町の町名の由来 区画整理前の地図↓

 

↓東区古出来交差点にて

↓東区あらかると等より引用

古出来町は、

・江戸期以来の町名。

・もとは春日井郡上野村に属し、古町屋と呼ばれていた。

・それほど古くから開けていたわけでなく、

 寛永年間(1661~73)から家が建ちはじめたので出来町と改めた。

さらに元禄年間(1688~1703)になると、豆畑をつぶして町屋が建てられ民家が増えてきた。

そこで元禄十五年(1702)西隣りの新出来町に対して、新出来町より古くある町という意味で、出来町に「古」をつけて古出来町とした。

・町屋をはさんで東西に武家屋敷が二筋あって、

 北の通りを北武士、南の通りを南武士と称していた。

・明治11年(1878)西春日井郡から名古屋区に編入された。 

 

古出来は、

昭和五十四年住居表示により二・三丁目が古出来町、矢田町の各一部から成立。

 

 

◎東区出来町の町名の由来

 

↓ひがし見聞録より引用

昭和五十四年住居表示により古出来町はじめ四町の各一部から成立。

 

◎東区新出来の町名の由来

↓ひがし見聞録より引用

新出来は、

昭和五十六年住居表示により成立。

東方にあった出来町に対し「新」を付けて呼称した。

 

(付記)

新出来町の町名の由来…区画整理前の地図↓

↓東区あらかると等より引用

・江戸期以来の町名

・二代藩主光友が名古屋城の東、

 大曽根村の見晴しのいい場所に別荘を建て、大曽根御殿といった。

・光友死後元禄15年(1702)に家老成瀬隼人正にさげ渡され、

 屋敷あとの一部に直参の武士の屋敷や町屋ができてきた。

・その東に昔からできた町があったので、こちらには新の一字をつけて新出来町といった

 といわれる。

………………………………………………………………………………………………

(追記)

先日(4月27日)、早朝散歩で、

古出来公園・出来町南公園・新出来西公園を訪ねデジカメ。

 

赤丸の場所が古出来公園

  青丸の場所が出来町南公園

 

古出来公園

東区古出来2丁目8

1986年開園、街区公園、0.08ha…ネットより

 

出来町南公園、

東区出来町3、

街区公園、0.05ha、1983年開園…ネットより

 

新出来西公園…の場所

東区新出来2丁目5

………………………………………………………………………………………………

先日(4月28日)早朝散歩で、

新出来公園を訪ねデジカメ。

 

新出来公園

東区出来町3丁目14−19

街区公園、0.56ha、1974年開園

 

(11,765歩)