「おためし場腑(はらわた)分けの跡」の名勝標札…中区上前津一丁目25番(橘公園内)(№56) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、中区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日(3月26日)

「おためし場腑(はらわた)分けの跡」名勝標札をデジカメ

設置場所 中区上前津一丁目25番(橘公園内)

 

↓ 名勝標札

↓下の文献よりスキャン

 

石黒済庵(1787-1836)について…ネットより

江戸時代後期の医師,本草家。天明7年生まれ。

・家は代々尾張名古屋藩医。奥医師にすすむ。

・文政4年名古屋ではじめて死体の解剖をおこなう。

・水谷豊文らと名古屋の本草学会「嘗百(しょうひゃく)社」を結成。

・天保6年伊藤圭介らと本草会をひらき,「乙未(いつび)本草会物品目録」を刊行した。

・天保7年5月2日死去。50歳。名は正(政)敏。別号に富春堂。

 

(付記)

石黒通玄・済庵父子宅跡 …橦木町2(名古屋市教育委員会設置の標札巡り…東区№27