先日、東区筒井二丁目にあります、
手代・往還公園辺りを散歩、
帰宅後、
手代町・往還町の町名の由来を調べる。
※東区筒井1~3丁目は昭和56年住居表示により成立。
この公園は、旧町名、
北に手代町(てだいまち)、
南に往還町(おうかんちょう)として平行する東西を走る二つの町名から名が付けられた公園です。
↓昭和56年住居表示前の地図
↓私所有の「昭和12年発行・名古屋市街全図」よりスキャン
↓私所有の「昭和25年発行・最新名古屋市全図」よりスキャン
↓手代町に沿ってある北の入口
↓往還町に沿ってある南の入口
手代町(てだいまち)の町名の由来等
↓ひがし見聞録より抜粋
・江戸期以来の町名。
・建中寺前裏町の南、往還町の北にあり、水筒先筋から東に入る横町をいう。
・享保十八年(1733)の名古屋図には、この筋の両側に「水道方手代」と記され、
「蓬州旧勝録」には「御作事方手代衆居宅」とあることから、手代町の名がついたらしい。
↓ネットより
作事方および水道方の屋敷地があったことによる。
↓資料より
◎沿革
江戸時代ー名古屋城下町に手代町として所在。
明治11年 -名古屋区成立に伴い、同区手代町となる。
明治22年 - 名古屋市成立に伴い、同市手代町となる。
明治41年4月1日 - 東区に編入され、同区手代町となる。
昭和16年 -往還町との境界を変更し、一部が水筒先町に編入される。
昭和56年 - 全域が筒井二丁目に編入され、消滅。
往還町(おうかんちょう)の町名の由来等
↓ひがし見聞録より抜粋
・江戸期以来の町名。
・「蓬州旧勝録」には「最初往還方手代衆拝領屋敷有」とあることから、大道奉行に属する
手代の居住地であったと思われる。
・大道奉行とは、広い道の管理等を担当した役人のことで、江戸期の地図を見るとこの
道筋は、近辺の横道に比較して道幅が広くなっている。
・天明五年(1785)の大火以後は一般の武家屋敷になった。
↓ネットより
往還方手代衆の住む屋敷地であったことに由来する。
天明5年にはこの屋敷が大火で焼失したことにより、諸士屋敷地として利用された。
◎沿革
明治初年 - 愛知郡往還町として成立
明治11年名古屋区成立に伴い、同区往還町となる。
明治22年- 名古屋市成立に伴い、同市往還町となる。
明治41年4月1日 - 東区に編入され、同区往還町となる。
昭和16年- 水筒先町・手代町の各一部を編入し
一部が水筒先町・手代町および車道町に編入される。
昭和56年) - 全域が筒井二丁目に編入され、消滅。
(21,894歩)