「東照宮社殿」の名勝標札…中区丸の内2丁目3-37(№41) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、中区内にある、

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日

「東照宮社殿」名勝標札をデジカメ

設置場所 中区丸の内2丁目3-37

 

東照宮について

創建年 1619年(江戸時代初期)
旧社格・等級等 県社・八等級
祭神 徳川家康(徳川家康を神格化した東照大権現)

その他      例祭 4月17日・試楽祭の神楽 4月16日

 

↓ 中区史跡散策路より引用

・祭神は徳川家康。

・元和 5 年(1619)、藩祖・義直が父・家康の霊を 祀るため名古屋城内三之丸に創建した。

・明治 8 年、

 藩校明倫堂 跡地である現在地に移し、義直の霊を合祀し、後に慶勝の霊を相殿に合祀した。 

・県の重要文化財に指定されている本殿は、義直夫人・高原院の 霊廟として、慶安 4 年(1651) 

 に万松寺に建てられたもの。

 

↓名古屋の史跡と文化財より

 

 ↓(付記)

尾張藩初代藩主徳川義直が徳川家康の三回忌である1618年元和4年)に大祭を行い

 翌1619年(元和5年)家康の神像を祀ったのが創祀

・1875年明治8年)名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、現在地に仮遷座した。

 1876年(明治9年)本遷座。

・1875年(明治8年)徳川義直の合祀を請い許可を得て同年6月20日奉斎式を行う

 県社に昇格

・1945年昭和20年)5月14日の空襲により義直以来の本殿主要建造物を焼失

現在の神社は、

1954年(昭和29年)建中寺より御霊屋を移築して社殿とした。

 

※東照宮祭は、天王社の天王祭、若宮八幡社の若宮祭と並んで名古屋三大祭とされた。

 戦前まで名古屋祭といえば東照宮祭のことだった。

 

↓名勝標札

↓尾張名所図会より

☟着色

 尾張藩初代藩主徳川義直が元和5年(1619)、

 父徳川家康遺徳をしのび名古屋城内三の丸、亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣地に東照宮を建立した。

 地名から三之丸東照宮とも呼ばれた。

 明治9年(1876),名古屋鎮台建設のため旧藩校明倫堂跡地の現在地に移転した。

三の丸東照宮(モノクロの尾張名所図会をデジタルでイメージ着色)

 

(付記)

東照宮社を訪ねる…中区丸の内2丁目3-37 

「東照宮」「金明竜神社の椋(ムクノキ)」…名古屋市中区丸の内二丁目

那古野神社・東照宮の桜満開

桜見物・・・その3(東照宮)

 

(23,708歩)

 

(参考)

 

(追記)