「東照宮」「金明竜神社の椋(ムクノキ)」…名古屋市中区丸の内二丁目 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(1月22日)に、

中区丸の内二丁目3-37にあります、

東照宮を訪ねました

   

東照宮について

創建年 1619年(江戸時代初期)
旧社格・等級等 県社・八等級
祭神 徳川家康(とくがわいえやす)
その他 例祭 4月17日・試楽祭の神楽 4月16日

 

・祭神は徳川家康。

・元和元年(1619)、藩祖・徳川義直公が父・家康の霊を祀るため名古屋城内三の丸に創建

・明治8年、藩校明倫堂跡地である現在地に移し、義直の霊を合祀し、後に慶勝の霊を合殿

 に合祀した。
・県の重要文化財に指定されている本殿は、義直夫人・高原院の霊廟として、 

 慶安4年(1651)に万松寺に建てられたもの。

 (以上、名古屋市中区史跡散策路より引用転記)

       名古屋市教育委員会設置の標札

(ネットより)…もう少し詳しく

尾張藩初代藩主徳川義直が、父徳川家康の三回忌である1618年(元和4年)に大祭を行い、翌1619年(元和5年)、名古屋城内三の丸に取り込んだ亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣地に東照宮を勧請し、成瀬正成、竹腰正信を奉行にし、南天坊天海を導師とし9月17日家康の神像を祀ったのが創祀。

三之丸東照宮とも呼ばれた。

 

創建当時の境内は3600坪もあったといい、本殿の社殿には権現造、楼門、唐門、渡殿、祭文殿等があり、東照宮として最も豪華であったといわれ、社殿などには極彩色がほどこされた華麗なものであったと言う。

1875年(明治8年) 名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、天王社とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に仮遷座した。

(付記)

鎮台は、1871年(明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の編成単位。

1876年(明治9年)本遷座。社格は1872年(明治5年)5月の時点では村社だったが、1875年(明治8年)8月に県社に昇格した。

また当時、名古屋東照宮は国宝に指定されていた。

 

1875年(明治8年)後に第二代名古屋市長となる志水忠平が東照宮に徳川義直の合祀を請い、許可を得て同年6月20日、奉斎式を行った。

1898年(明治31年)初代名古屋市長だった中村修が東照宮に徳川慶勝の合祀を請い、許可を得て奉斎。

1924年(大正13年)10月28日、義直・慶勝の御霊を旧藩士が新たに創建した尾陽神社に遷して奉斎。

 

1945年(昭和20年)5月14日の空襲により、義直以来の本殿、主要建造物を焼失したが、

 1954年(昭和29年) 建中寺より義直の正室春姫(高原院)の御霊屋を移築して社殿とした。

・この御霊屋は1651年(慶安4年)に万松寺境内に建てられ、1914年(大正3年) に建中寺へ

 移築されたものであった。

・1960年(昭和35年)に愛知県の有形文化財に、また1992年(平成4年)には名古屋市の

 都市景観重要建築物に指定されている。

 

デジカメ

 本殿

 
 

 

(付記)

東照宮の西側にある、

金明竜神社の椋(ムクノキ)…中区丸の内二丁目2-18

・金明竜神社のご神木。

・幹回り5.25m、根回り7.70m、樹高21mで樹勢旺盛。

・名古屋一番のムクノキの巨木。

※この地は、尾張藩士の重臣であり、俳人でもあった横井也有の出生地。

・明治以降は明倫小学校の校庭になったが、第二次世界大戦の後、金明竜が祀られた。

              (以上、名古屋市中区史跡散策路より引用転記)

デジカメ


 金明竜神社