犬千代ルートより:荒子観音・冨士権現天満宮(荒子城跡)・龍潭寺・速念寺(前田城跡) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日(6日)、

鯱城学園クラブ活動(ウォーク)で訪ねた

著名な史跡についてのブログです。

 

🔶先ほど、ブログした

タイトルクラブ活動…中川区『前田百万石への道』ウォーク

の続きとしてご覧ください。

        

荒子観音について…名古屋市中川区史跡散策路より引用

・浄海山円龍院観音寺、天台宗系単立寺院。

・本尊は聖観世音菩薩。

・天平元年(729年)泰澄大師の自作といわれ、当初は一山十二坊を数えたという一大霊場で

 あったが、その後衰退した。

・しかし永禄年間(1558年~1570年)全運上人が再興し天正4年(1576年)加賀百万石の藩祖で

 ある荒子城主前田利家が修造した。

・その後幾度か改修され、江戸時代から尾張四観音の一つとして栄えている。

・現在でも、節分には大勢の老若男女でにぎわっている。

・境内には、建立年は不詳だが、天文5 年(1536年)に再建された多宝塔がある。

 これは、市内最古の木造建築物で、室町時代の建築様式をよく表しており、

 国の重要文化財に指定されている。

・また、同寺には円空上人作のナタ彫り仏像が1250体余り残されており、

 毎月第2土曜日午後1時から4時まで拝観できる。

 

冨士権現天満宮(荒子城跡)について…名古屋市中川区史跡散策路より引用

・創建年は不祥、祭神は木花開耶姫命と菅原道真公である。

・荒子城主前田利家が勧進した社であり、荒子城の鎮守神であった。

・境内には、前田利家が越前へ移る際、荒子に残していった馬道具が保存されている。

・荒子城は、天文年間(1532年~1555年)前田利昌の築城、利家も居城し、

 天正9年(1581年)廃城となった。
・城の規模は、「尾陽雑記」「尾州古城志」などによると、

 東西が約68メートル、南北が約50メートルであった。

 

龍潭寺について…名古屋市中川区史跡散策路より引用

・曹洞宗、山号は医王山。

・康正元年(1455年)錦溪大和尚が創建した。

・市の文化財に指定されている唐様式の須弥壇には、

 釈迦牟尼仏(本尊)と道元禅師(永平寺開山)・瑩山禅師(総持寺開山)が安置されている。

・本堂内の木造如来仏頭等三体は、藤原時代の作で、市の指定文化財である。

・稲荷堂には文殊菩薩・普賢菩薩が、薬師堂には日光菩薩・月光菩薩が安置されている。

・落ち着いた情緒漂う庭は、

 「名古屋のコケ寺」ともいわれ古風な禅林のたたずまいをみせており、

 「古松般若を談ず」の趣きがある。

 

速念寺(前田城跡)について…名古屋市中川区史跡散策路より引用

・当寺はもと天台宗に属していたが、天文12年(1543年)、中興の意休法師の時、真宗に転宗した。

・意休は俗名前田利則といい、加賀公前田利家の叔父にあたる。

 また、当寺は前田氏発祥の地で、境内には前田古城跡の石碑がある。

・当時の前田氏は蟹江、一色、荒子を傘下に収めていた。

 寺伝によると、天文6年、前田城にて利家出生7歳頃荒子に移る

・天正12年(1584年)小牧長久手の戦で前田城落城。

・前田一族城主ら三基の墳墓の脇に速念寺は移り鎮魂の寺となる。

・その後、利家は金沢城に入るが生まれ故郷を偲び、

 前田一族先祖の墳墓と土地を守る速念寺に本尊となる阿弥陀如来を寄進。

・その蓮台には「聖徳太子御作、前田又左衛門尉利家」の銘がある。

(付記)

前田城址を訪ねる…中川区前田西町1-904(現、前田速念寺)