私「洋ちゃん」、中区内にある
名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。
その一環で、
先日(1日)
「古渡城跡」の名勝標札をデジカメ。
設置場所 名古屋市中区橘2-8-55(東別院境内)
↓ 名勝標札
古渡城跡について…中区史跡散策路等より引用
・天文3年(1534年)織田信長の父・信秀が築城。
・信秀は今川氏豊から奪った那古野城にいたのだが、
那古野城を生まれて間もない信長に譲り、この古渡城に入った。
・その後、信秀は天文17年(1548年)、
甲斐の武田に備えるため末盛城を築き本拠を移し僅か14年で廃城となる。
・信長は既に清須城に入っていた。
・東別院などがある一帯が古渡城跡である。
↓資料より
織田信長の父信秀が天文3年(1534年)に築城した古渡城の旧跡地であり、
信長自身もこの地で天文15年(1546年)に元服の式を挙げたと伝えられている。
↓資料より
・天文15年(1546年)信長は13歳のとき、この古渡城で元服の儀式を行う。
・当時この辺りまで伊勢湾が流入しており、
港として経済的価値が高い地区であったと思われます。
↓資料より
信秀(信長の父)の本拠城は
勝幡城⇒那古野城⇒古渡城⇒末盛城
信長の本拠城は
那古野城⇒清須城
↓下の文献よりスキャン
(付記…参考)
★以前に訪ね、ブログした部分から抜粋しコピー。
↓ 末盛城(千種区にあり)の名勝標札
↓稲生原古戦場跡(西区にあり)の名勝標札
(特記)
東別院(東本願寺)、古渡城跡をデジカメ➡末盛城跡(千種区)、稲生原古戦場跡(西区)の標札